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ことばの力・演劇の力

2015-01-28
「おはよう」という文字は「文字」
だが、「声」にすれば多様な表現になる
何を言うかより、「どう」言うかが大切だ

子どもたちが円環を作り、ボールを受け渡しする。ただし「声」を使ってはいけない、所謂「アイコンタクト」のみでコミュニケーションを図る。ボールが一つのみならばまだしも、2つ・3つと加えられると、様々な混乱も生じるのと同時に、工夫も創造される。怪我をしている友人がいれば、投げずに手渡すなど、子どもたちの配慮が初々しい。この「ボール」は、日常生活では「声」として子どもたちの間を行き交っているわけである。今年度、僕もコーディネートして来た芸術家派遣事業の「現代劇」ワークショップを、ある小学校に参観に行った際の光景である。地元地域で活躍する劇団主宰者と役者さんによる展開に、大いなる興味を持った。

声の高低、ことばを交わす間、態度、両者間の距離等々の諸条件が、単なる「おはよう」の挨拶を多様にする。また、「買って」「ダメ!」といった、子どもと母親の単純なやりとりを場面を想像して発話する。演劇の「声」とは元来、こうした虚構の内に醸成される。だが、その虚構にこそ、真実以上の真実が含まれていると考えられる。「国語」授業で扱われる物語・小説教材にも、こうした演じる要素が多々ある筈なのだが、〈教室〉での声はなかなかこうした「生きた声」にはならない。それは、教師が「指導言葉」で「(模範的として)音読」することにも起因しているかもしれないが、日常生活にはない同調圧力の掛かった、「教科書読み」が横行する。

「演劇(Play)」には「あそび」の意味もあると演出家の方が告げる
「学び」が「楽しい」と感じられる〈教室〉空間の創造を進めたい
「すべての道化は戦争を否定する。」(仏・劇作家・ラブレー)
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