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「自分」とは?の問い掛けから

2015-01-15
「我思うゆえに、我あり。」
「自分」「内面」「自我」とは何か?
講義で語り手となれば、そのまま自己の問題意識に跳ね返って来る

いま此処にある「自分」とは、何だろうか?「息子」としての自分。「兄」としての自分。「大学教員」としての自分。「地方住民」としての自分。「常連」としての自分。「小欄」を語る自分。等々と枚挙に遑がないが、果たしてどこまでこうした「・・」を剥がして行ったら、「本当」の自分なのであろうか?といったことを突き詰めて小説にしたのが夏目漱石であり、それを「近代的自我」という言い方で批評できることは、既に一般的な見解となっているだろう。このような内容について講義で語り手となっていたら、ついつい僕自身の「自分」を見つめる結果となった。「語る」とは、まさに自己を起ち上げて「読む」ことでもあるのだ。(小欄を読む「もう一人の自分」が、僕の中にもいるということでもある。)

新年を迎えれば、大抵また新たなる「自分」を創造しようと躍起になる。それが「年頭の決意」という形で言説化されている。だがしかし、「よかれ」と思って行動している日常習慣が、むしろ「重荷」にはなっていないか?(例えば小欄の執筆なども・・・)健康を志向して行動していることが、むしろストレスになっていないか?(食事の内容選択など)このように「複合体」である「自分」から、一枚一枚皮を剥がすようにしていくと「本当の自分」に行き着くのであろうか?挙げ句の果てに、「過去」の「自分」と引き比べて天秤に掛けるといった、実に他愛もない所業を思考している「自分」に夜になって気付いた。「自分」とは、まさに混沌とした本質の見えない複雑なもので、当の本人が自問自答を繰り返して初めて確立するものなのであろう。

あっという間に小正月
今一度「気分」を入れ替えよう
すると、不思議と僕を救う手紙が一通届いていた。(これには、いずれ触れる)

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