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「栄光の男」と「自分史」の接点

2015-01-04
「生まれ変わってみても
 栄光の男にゃなれない〜♬」
(サザンオールスターズ「栄光の男」より」

「今日限りでY新聞は辞めた!」父が急にそんなことを口走り、翌日から朝刊が来なくなった。理由は単純明快、長嶋茂雄監督が「解任」されたからだと少年だった僕は聞かされた。僕の父は大の野球ファンであり、同世代の長嶋茂雄という存在を尊敬していた。まさに父の言行一致の行動力を思い知った、我が家にとって重大な出来事であった。V9以後、必然的に選手の平均年齢が上がり、若手をあの「伝説の秋季伊東キャンプ」で育て始めた途上での「監督解任」。今あらためて確認すれば、それは「辞任」であって「解任」ではなかったようだが、世間は知っていたのだ。その「真実」が「解任」であるということを・・・。

昨晩「長嶋茂雄の真実」というTV番組を観ながら、前述したような「自分史」を重ねていた。プロ野球入団から、現在リハビリに奮闘する姿まで、まさに長嶋茂雄そのものが露わに表現された番組となっていた。脳梗塞の後遺症を抱えながらも、意欲的に人前に出ようとする姿勢。毎朝の散歩を始め、過酷なリハビリトレーニングを週4日も欠かさず遂行する不屈の精神。それはまさに「天才」と呼ばれた男とはまったく違った、苦闘の継続と努力に支えられた姿であった。「この病気に勝ってやろうと思うの。」という長嶋自身の言葉に、何度も涙腺が緩んだ。生きるとは、どんなことがあろうと常に「前に出て行こうとする気持ち」が絶対に不可欠なのであると、あらためて悟る機会となった。

「永久に不滅です。」の名言を、僕は小学生としてTVで観ていた。その深い意味はまったくわからなかったが、ただ心の底から熱いものが込み上げて、両親とともにその時代の「空気感」の中で涙を流した記憶がある。ほぼ選手としての晩年しか観たことがなかったのだが、後楽園球場でカクテル光線に映し出された勇姿は、少年の心にも勇気を与えた。番組内でも紹介されていたが、「あと2〜3年はできる」と思いつつも「綺麗なうちに辞める」という「栄光の男」の哲学が、そこにあったのだ。その後、むしろ僕自身が野球を深くわかるようになってからは、監督・長嶋茂雄の姿を追い続けた。

「どうしたら野球が上手くなるか?」と僕自身が必死に考えていた頃、第一次長嶋監督時代と重なる。今にして思えば、「威光」によって勝てる訳ではないということを、世間が知った時代であったのかもしれない。選手・長嶋茂雄以降、三塁手の席が定まっていなかった中で、外野手として活躍した高田繁選手を三塁手に据えたのも長嶋茂雄監督であった。僕はその「コンバート」という言葉に妙に惹かれて、高田繁選手の姿を追い続けた。その結果、強肩を活かした守備のみならず、打撃面でも三割を記録し、高田繁は選手として再生した。その一部始終を知り得る限りの情報を駆使して観たことが、僕に野球の奥深さを悟らせた。長嶋茂雄は、神にあらず、しっかりと後継者を育てる”人間”であることを少年ながらに感じていたのであろう。

視聴率48.8%という「国民的行事」となった「10・8決戦」。僕は現職中高教員であったが、あの日は早々に仕事を切り上げて、帰宅した記憶がある。一球一打に眼が離せない試合展開、その試合に賭ける長茂雄嶋監督の「闘魂」こそ、「野球」そのものではなかったのか。当時、その素晴らしさに感嘆し、よく「国語」の授業ながら、”マクラ”として”長時間”の野球哲学を僕は生徒の前で”惜しみなく”語っていた記憶がある。それこそが「生きる」ことだと確信していたからだ。「(家族の反対を押し切り)ファンが待っている」と言って就任した第二次長嶋監督時代。背番号「33」から「3」の復活へ、そして数々の「メイクドラマ」を創造した日々。僕の野球への思いも、公私両面で最高潮であったのかもしれない。

今回の番組内で紹介された長嶋茂雄の言葉に、もう一つ特筆しておきたいことがある。娘・三奈さんがメディア就職直後に、仕事で悩んでいた時のことだ。「サラリーマンだってプロだよ。」という父・長嶋茂雄の言葉に娘・三奈さんは奮い立ったという。これも今にして思えばの域ではあるが、第二次長嶋監督時代を通して、僕自身も再び研究の道を見据えて現職教員ながら修士に入学している。まさに「国語教師もプロだよ。」と悟ったからである。その後、長嶋茂雄監督が勇退する2001年には、やはり僕自身にも実に大きな転機が訪れていた。それは、サザン「栄光の男」の歌詞でいえば、様々な面で「メッキが剥がれてく」ことに気付き始めた頃でもあった。

長嶋茂雄は入団時にこんな趣旨の発言をしている。(大学野球とプロ野球との違いをインタビューで問われて)「これからは個人ですね。大学はチームのためでしたけれど、これからは個人が頑張れば、結果的にチームの為になる。」ともかく「個人」が輝くことこそ、「プロ」なのだと心構えを吐露している。この番組を観て、僕はようやく気付いた。野球とは、決して「球団」を愛好するものではない。ファンは、選手「個々人」の姿勢に惹かれるのだと。

それでも尚、国際大会で低迷していた日本代表チーム監督に就任した長嶋茂雄には、言葉にならない重圧があったという。「オリンピックに出られなかったら、日本にいられなくなる。」とまで家族に漏らしていた。その世論的な偏向した重圧が、どこかで長嶋茂雄の身体を蝕んでしまったのではないかと。日本的ともいえるスポーツ上の過剰な重圧を醸成する「空気」を、僕たちは注意深く拒まなければならないだろう。選手もファンも一個人、生身の「人」なのであることを決して忘れてはなるまい。

TV番組からこれほどに書く契機をもらうとは・・・
だが、それが人間・長嶋茂雄なのである。
キャンプにいらした際には、ぜひとも生身の長嶋さんを観たいものだ。

桑田佳祐さんも、長嶋茂雄さんの存在なくして音楽を始めていないという。
そしてまた「プロ」として未だ至って甘い自分に言い聞かせる。
「前に出て行こうとする気持ち」なのだ!長嶋茂雄監督ありがとうございます!

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