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イチローの「我慢」は「準備」に通ず

2014-12-24
「大人になると我慢の連続です。
 我慢して自分の気持ちを抑えて、前に進んで行く。」
 (少年野球大会での挨拶にて、イチローの言葉)

久し振りにイチローの言葉を、映像で聞いた。「イチロー杯」と名を冠した少年野球大会での、挨拶の映像であった。イチロー語録には、様々な成功への秘訣があるので、年末年始特番などでインタビュー番組があると必ず観ていたが、最近はそうした番組も制作されることが少なくなった。それは彼の言葉に聊かの変化があることにも、反映されているようにも思う。今季の安打数は自己最低、彼がスーパーサブの如く扱われ続けて来たというチームの方針への対応も然り。また越年近くなる現時点で来季の所属チームが不透明であるのも、彼にとっては初体験であろう。

少年に語った「我慢」は、まさに現時点でのイチロー自身への言葉であると解せる。同時に僕ら「プロ」の世界で生きる意識ある者たちへの、贈る言葉であるとも思う。「大人」いわば「社会」に接する以上、自らの力だけではどうにもならないことも多い。他者との関係性の中でだけ、はじめて自己の位置が決まるともいえる。そうかといって、他者に迎合したり従順であるだけが「大人」ではない。社会性の中にあって、自らができることを最大限に「準備」しておいてこそ、「大人」であり「プロ」であるということだろう。出場できない試合があっても、まさに「我慢」して、全試合出場できるコンディションと実力を錬磨するということである。それがイチローのいう「我慢」なのではないか。

日常では仕事以外でも、「我慢」を強いられることが多い。折目正しく前進しようとすれば、齟齬が生じることもあり、思い通りには運ばないことが大半であろう。眼に見えた結果を性急に求めれば、大概が錯誤した方向に歩んでしまうこともある。そこで「準備」を怠らず、多角的複眼的な視野を求める言動を惜しまず、慌てずに自らの命題に向き合えるかどうかが肝心ということになるだろう。自身ではよかれと思い込んでいることが感情的な呪縛となって、実はそれが大きな誤謬であるのかもしれない。翻って考えれば、自身では適合しないと思い込んでいることが性急な”誤診”であって、実はそこに求めるべき核心が眠っているのかもしれない。そんな境地でも、やはり「我慢」が重要であると、つくづく感じられるのである。

イチローならずとも、
近所の親友の言葉は、いつも心を反転させ視野を全方角に向けさせてくれる。
いかに人間が「思い過ごしの動物」であるかと、あらためて悟るのである。
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