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冒頭で聴衆を「つかむ」には?

2014-12-18
「こんにちは、さて始めます。」
ではなくて、自然と流れるような開始をいつも模索する。
何も言わずにただ「声」で「朗読」を投げ掛け始める。

スピーチをはじめとして、授業の第一声をどうするか?特段こだわらない方もいるであろうが、僕の場合は、いつもこれを模索している。比較的少人数授業で、ほぼ全員が揃っている場合は、対象の個々が見え易いので、興味関心のあるマクラをふる。天象気候・地域の話題からスポーツまでそのネタは様々である。60人程度のクラスになると、開始時間間際に来る学生もいるので、本日のプリントは何枚などと、確認しつつ落ち着きを待つ場合もある。150人以上となれば、更に開始時間に落ち着きはなく、バラバラと後から入って来る者もいるので、そのタイミングを見計らって適応する必要がある。

だが、いずれもいずれも「静かに」とか「注目」などという言葉を、原則として使用しないことを心掛けている。振り返りますれば、新任教員だった頃は、よくこの類の言葉を連発していたものだと、過去の自分に呆れることも多い。加えて「話をしない」とか「まだ私語が聞こえる」といった「教員慣用句」を繰り返し、教壇上の権威で静かにさせようとしていたのである。だが、そうした場合に、決して学習者の耳は真にこちらに向かないということを、ある時悟った。学習全般において同じことが言えるが、「〜させる」では真の学びは起動しないのである。映画やTVドラマにあるような、冒頭のワクワク感に近いものを、授業冒頭で施したいものである。

ここ数年の朗読会で、冒頭は「断りなしに詩を読み始める」という試みを行なって来た。まだ着席していない方がいても敢行する。(さすがに多少は状況を観るが)最近は大河ドラマなどでも、冒頭テーマ曲の前に、約1分半から3分程度の「つかみ」映像が流れることも多い。それと同じ手法で「詩のことばの力」と「声の力」に全てのメッセージを託す。何が始まったのだろう?という意外性が、他の魅力ないことばを発する以上に効果を発揮する。この日も、1年生150人規模の授業の冒頭で、この手法を試みた。渡した資料のうちに僕の声で語られる詩を探そうとする者、こちらに深い視線を投げ掛ける者、「意外」という表情から脱し得ない者、これほどの人数がいると反応も多様だが、やはり他の「事務的言葉」よりも、確実に惹き付けるものがあったと満足な結果となった。

文学作品も冒頭に魅せられることが多い。
こころと意識をその授業中に思考すべき域に焦点化するということ。
どんな局面でも、「声の力・ことばの力」を諦めてはいけないのであろう。
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