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授業でも笑えばいいじゃないか

2014-12-02
授業中は静粛に
笑顔は御法度?
それでは、柔軟な思考にならないよね

先月、落語家の親友が滞在する間、色々な話題があった。彼は、大学授業の一環として実施してくれた一席の「枕」にこのような小噺をふった。体育館に集合した生徒たちを前に、体育教師らしき先生が、「いつまで喋ってんだ。そこ!その後ろの方だ、中村か!いい加減に口を閉じろ!」などと恫喝的な発言を浴びせる。更に「今日は、落語家の”先生”が、一生懸命に話をしてくれる。決してな!笑ったりしないように!」となって「落ち」となる。そう、体育館で人の話を聴くときは、私語をしたり、ましてや笑ってはいけないのだ。それが指導上のルールであるのは、確かなのだが・・・。

何かが違うのだ。「人の話を聴く」べきなのであって、「静かにして反応しない」のではない。喜びがあれば声にし、怒りがあれば憤り、哀しければ泣き、楽しければ笑う、それでいいのではないだろうか。この「教室では静かにする」が、学習をつまらないものにしているのではないのか?授業で大学生に問うてみると、小・中・高校と上がるに連れて、「国語」の授業も楽しめなくなった、といった声に直面する。「印象深かった教材を一つ挙げてみよう」という問いには、多くが小学校での教材を挙げる。この日の授業でも、結果は同じであった。中でも、「古文」教材は皆無、漢文教材は「矛盾」のみという結果になった。大学生にとって一番直近であるはずの、高校の学習内容が印象深くないのである。この状況は、如何なるものだろうか。

「国語」の教員養成をしている。当の「国語」を専攻した学生でも、自分たちの「国語」学習経験は、決して「面白い」ものではなかったという場合が多い。だが、「文学」いわば「本」は好きであったという。大学で専門知識や、教科教育の技術を教えるのは自明だが、それ以前に、この「国語」に対する「経験」を、もっと豊かなものに塗り替える必要があるのではないか。感激・憤慨・号泣・爆笑となれば言い過ぎかもしれないが、学びは感受性豊かであった方がいい。それでこそ、自らの言語・文化を大切にしようとする気持ちが養われる筈であろう。そうして「国語」に対して豊かな心を持った者こそが、次世代にの「国語」の学びを創るべきだ。

授業でも笑えばいいじゃないか
落語を教室で聴く学生たちは、身構えていた。
大仰に言えば、様々な感性・意識が頽廃する、日本の過誤なのかもしれない。
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