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落語でコミュニケーション育成ができるのか?

2014-11-19
硬直し正座崩さず
落語の声身体ほどく
爽やか笑顔

先月に引き続き「芸術家派遣」事業として、今回は落語家さんの登場を願った。東京の大学で実施していた「教員養成に落語の力を」プロジェクトで僕を指南してくれた金原亭馬治さんをお招きして、3日間のワークショップを小学校で実施する。目標とするのは「コミュニケーション育成に資する」である。落語とは、まさに「独演」であり高座から一方的に語り掛けるように思われるだろう。その語りで果たして「コミュニケーション」は育成できるのか?

会場となる小学校体育館に、子どもたちが座布団と扇子をもってやって来る。今回の対象は4・5・6年生となる。”例”によって整列し前習いをして床に腰を下ろし、全員が正座をした状態となった。前説明として僕がまずは子どもたちに声を掛ける。「今日の授業は思いっきり笑っていいんだよ。」と言うと、子どもたちの表情がやや緩む。そして「笑うには楽な座り方をしてください。」というと胡座など自由に子どもたちは足を崩し始めた。そう!まずは身体の硬直を解くことだ。寄席に行って硬直した身体で身構えている”大人”はいないはずだ。

出囃子にのって颯爽と馬治さんが登場し高座に上がる。最初は「落語入門」を語り始める。「落語はみんなの想像力に助けてもらって、独りだけで行う芝居なんですよ。」そしていくつかの所作を見せて、子どもたちに問い掛ける。「何をしているところかな?」ー「蕎麦を食べている!」「今度はうどん」「魚が釣れた!」と次第に子どもたちの好奇心が起動し始める。更には実際に、扇子を使用し「蕎麦を食べる」所作を全員が真似る。その後、希望者が馬治さんとやりとりをしながら「蕎麦屋」を演じる。羽織を着た子どもたちは、不思議な面持ちながらその体験を楽しんでいた。

そして一席と相なるが、此度の噺は「牛褒め」。子どもである与太郎とおとっぁん・おじさんとの齟齬ある会話に、会場は笑いに包まれる。大人が子どもに何かを教えようとするのを、相互がどう受け止めて行くか。そこに機知に富んだズレが生じる。コミュニケーション能力とは、何でも好都合に「わかり合う」方向に働くことばかりを考えがちであるが、受け止め方に差異が生じることを自覚してこそ、育成されるのではないだろうか。みんな違って「わかり合えない」からこそ、コミュニケーションが必要とされるというのは、平田オリザ氏の著書の趣旨であるが、「牛褒め」という噺の内実には、そんなコミュニケーション育成の鍵が隠されている。

さてこれから3日間
初日は上々に終えて、大学に帰り明日の台本作り
ゼミ学生の口述筆記(タイプ)の力を借りて準備万端、お疲れさまの美酒に僕らの笑顔。

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