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35人でさえも・・・実効性・対費用効果が基準か?

2014-10-28
ただでさえOECDでも低い教育予算
実効性が無いのを理由にまた削減されるのか?
30人以上で5人ずつの増加を体験してみればこそ・・・

財務省の勧告により、1学級あたりの児童数が35人から40人に引き戻されようとしている。35人になった際には、長年の悲願がようやく達成されたような思いがあり、更なる少人数学級への願いが高まったはずだ。集団一斉教授方式への反省、個々の理解や表現を尊重し、児童の生活の変化などに敏感に対応するには、35人でもまだ多いという感覚が現場の良識であろう。実効性という語彙によって、数字上の対費用効果を基準にして再び歴史を逆戻りさせてしまうような判断は、まさにこの国を護り発展継続させていこうという意志に反したものと言っても過言ではない。

少子高齢化の加速と自然災害による無常観に満ちたこの数年間の日本の状況下で、経済最優先社会に一層の拍車がかかるような発想に対しては、誠に憂いが深い。米国をよく訪問していた頃、ある女性と議論したことがある。「日本の教育で一番の問題は何か?」と問われ、「1学級の定員の過剰さ」と僕は答えた。するとその人は、「教育のプロが5人10人の差で対応できないのは、能力とやる気の問題だ。」といった趣旨の反論を豪語した。彼女はまさに新自由主義的発想に偏向した米国社会の坩堝のような場において、第一線で金を儲けていた。「これか!」と僕は思った。「金」のみを基準としか考えない人間には、教育で1人が対応できる人数に対する繊細な感覚が、甚だ欠如する。飲食店で利益を上げる為に人件費を削減し、効率よい振舞で切り盛りするのと同等の感覚なのだ。

私立学校に勤務していた経験から、僕は最大48人という信じ難い人数から、30人までと多様な人数の学級を担任したことがある。経験の無い方からすれば、「5人」の差はあまり感じられないのかもしれない。だが確実にその差によって、一人一人への対応の繊細さに開きがあるのが実感である。単純に同じ授業時間であれば、個々の表現に与えられる時間に大きな差が生じる。国語授業などにおける理解と表現の問題は、確実に個々の多様性が求められる方向にある。それが再び横並び傾向を強めることになるのだ。全体で一つの理解や表現でよいとなれば、まさに児童の思考そのものが貧困になってしまうだろう。

学力のみならず「人」を育てる
「人」が個々の「人」に向き合うということ
いまだ経済しか重視できないこの国を、世界は嘲笑っているとしか思えない。
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