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経験過程の消失

2014-10-26
不愉快や苦痛は誰しも嫌だが
まったくそれが消えてしまってもいいのだろうか
簡便・効率・安楽を追求し尽くせば失うものもある

地方生活を始めて1年半、だいぶ虫などにも慣れた。一部家の中には害虫駆除製品を使用してはいるが、本当に害虫かどうか?という問題意識を持つようになった。少なくとも蜘蛛はダニを減らしてくれる益虫とも考えられ、「朝蜘蛛は殺すな」といった成句が示すように、吉兆や待人の予兆であるという俗信も各地に伝承している。15日付小欄にも記したが、「クモの巣ジェット」なる「殺虫根こそぎ殲滅製品」を使用するような心性というのは、如何なものか?と考えてしまう。

我々は無意識に「不愉快」や「苦痛」を伴う対象を、一掃排除してはいないだろうか?「不快」なものすべてを無差別に一掃するという、野蛮な倨傲を以て行動してしまってはいないか?「恐怖」を感じなくてもよいものとの相互交渉に焦り脅えるがために、過剰な排除行為をいつしか行なっているのではないか。「除菌」「抗菌」を売り物にした製品や公共物の氾濫。「悪臭」「雑音」「辛酸」「塵埃」「醜悪」だと判断すれば、即座に排除したいと願う高慢な欲望。これが対象を間違うと人間関係の中にも持ち込まれてしまい、弱者のみが「苦痛」の底に沈む場合も少なくない。

何かを得たいとか目標に到達したいと願えば、自ずと「不快」や「心痛」を伴った「試練」を通過する必然性があるはず。そのトンネルを抜け出た時、獲得や成就の「喜び」を味わう。それを「経験」と我々は呼んでいた筈だ。だが、この社会はその経験を尽く消失させ、過程なき利便性追求に躍起になっている。「自己克服の喜び」を持たない輩は、いつしか「他者を傷つける喜び」しか持ち得ず、鉾先を反転し利益保護者である組織体に従属し自己防衛を果たす。経験過程の消失が招く、実に恐ろしき感情の倒錯が進行しているのではないだろうか。

藤田省三『全体主義の時代経験』(1995)に学ぶ。
地域の方々とこうした話題での交流会にて。
僕たちは何かを置き去りにして、失われたものに無自覚なのである。
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