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ことばなくして心なしー1800のことばの集積

2014-10-21
「稲の心がわかる人間になれ」
宮沢賢治が農学校教師だったときの口癖
「人、木石にあらねば」と古典にあるが・・・

宮沢賢治の思い描いた「イーハ・トーブ」の世界は誠に夢があった。人間も動物の植物も互いに心が通い合うような世界観。動物はもちろんであるが、一本の樹木でも身を切られれば悲痛であり、陽光は快適であり、周囲の環境への憤慨や過去の思い出さえも持つものだという、実に人間性ある思想である。その世界観は、彼の作品の中から多様に読み取ることができる。それからすると、我々の犯して来た動植物への迫害は、二十世紀から現在に至る大罪ともいえるであろう。

ことば無き動植物にもことばを与える、それが童話や小説の世界である。他者の立場を思いやり、自己を相対化することば。想像力には卑劣な範疇のものもあるが、概ね文学作品のそれは豊かなこころを表現する。動植物が放つことばには、人間が気付くべき含蓄があることが多い。それを所詮は人間の造り出したものと冷徹に見るか、童心を失わずに動植物を敬愛できるかで、人間としてのこころのあり様が問われる気がしてならない。

裏を返せば「人」である以上、ことばを持つべきだ。「言わずもがな」「以心伝心」などと日本語には、「ことばなくしても心をわかれ」といった趣旨の成句が多数あるが、「察せよ」という姿勢ほど無責任なものはない。子どもが絵本ひとつ読んでも、「面白かった」ということばに「どこが」という思考に発展する契機が潜む。心の中に生ずることを、相手に伝えたいが為に、人はことばと格闘する。下手でも無造作でもぎこちなくとも、ことばを発するべきだ。発しなければ思考が淀み、こころが先に動き出さない。「稲の心がわかる人間」とは、人と人との間ではせめてことばを大切にしろということでもある。

動植物なら想像力でことばを与えられるが、
ことば無き人間の心を詮索すると思わぬ勘違いをすることもある。
ことばなくして心なし、と思っていた方が自分を解放できるはずだ。

2014年10月21日、心をことばに転化して1800回更新。
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