背後に想定する古典
2014-10-12
「典拠」とは何か?「准拠」とは何か?
再検討と題し考える
台風の進路が懸念されるなか、中古文学会が京都で開催。早朝便で大阪入りするが、風に煽られて機体の揺れも大きかった。だがまさに「上洛」、いつもながら「京に入りたちてうれし」の心持ちとなる。初日はシンポジウム、「典拠と准拠の再検討」が展開された。
『源氏物語』を始めとして、古典文学研究のなかで「典拠と准拠」を検討する分野では、これまでも様々な先学の業績がある。僕自身も平安朝の主に和歌表現が、中国文学の影響をどれほど受けてきたかということを、学部時代以来考えてきた。その研究方法をあらためて見直す良い機会となった。
今回のシンポで複数回言及された考え方、「背後に中国文学を想定することによって、一層興味深く鑑賞され得るもの」をどう捉えて行くかという点については特に深く考えさせられた。ある先生は、「観念(知の様式)性」とか「観念的映像性」といい、創作者の「言語生活」そのものに中国文学が介在している様相を説いた。また、「典拠」とはまさに「古典化」されたものに依拠することといった発言にも、自明のこととは思いながらも再検討を要すると考えさせられた。そこには「古典」とは何か?という根源的な問題も横たわっているゆえである。
「興味深く鑑賞され得る」のは誰か?
文学そのものをどう読むのか?
人文科学研究者の矜恃をもって、僕たちが明らかにしなければならないこと。
- 関連記事
-
- 「けれどもそれもうそかしら。」認識と世の中 (2015/02/27)
- ふと心に響く「見えぬけれどもあるんだよ、」・・・ (2015/02/18)
- 「やさしい心の持ち主は」詩心がもたらす日常 (2015/01/29)
- 風と朝の日光を愛そう! (2015/01/03)
- 表現者の意図に迫ることから (2014/11/02)
- 酒縁・学縁・地縁の短詩型鼎談 (2014/10/27)
- 平和な国に豊かな文学 (2014/10/13)
- 背後に想定する古典 (2014/10/12)
- 詩「なぜ?」を己に問う (2014/08/15)
- 生誕105年「太宰治」を考える (2014/05/25)
- 講演「日向神話を読みなおす」を聴いて (2014/02/23)
- 「旅」を再考する (2013/12/08)
- 時空を超える意識 (2013/10/15)
- 和歌文学研究のこれから (2013/10/13)
- 「明日」(谷川俊太郎)に潜むもの (2013/07/29)
スポンサーサイト
tag :