「読み語り」にしよう!
2014-10-05
一般的に云う「読み聞かせ」「・・させる」という語感でいいのか?
語り手も聞き手も自らを「語る」のだ
今年度公開講座第5回目。『走れメロス』の後半を読むという内容である。前日に実施した「芸術家派遣事業」で、僕のもとに来ている俳優とギタリストの2人をゲストにお迎えしての、特別版となった。ちょうど彼らは、過去に舞台で『メロス』の公演を行なったことがあり、朗読と曲の取り合わせも出来上がっていた。メロスがもう諦めよう、と心の中に深い葛藤を抱く場面をまずは役者さんに語ってもらった。その後、クライマックスとなる終末部分を、受講者が群読で構成するべく班別に話し合いが始まった。
そんな相談の最中、2人の受講者の方々と話していると、こんなことが話題になった。「読み聞かせ」という言葉は、「・・させる」という語感があるから、どうも使いたくないのですという。これは僕もかねてから考えていたことで、既になるべく「読み語り」という言葉を使用していた。「聞かせ」はどこか、読み手のみが主体となるが如き傲慢さを感じざるを得ない。「語り」となれば、読む側の解釈や創意を活かし、また聞く側も自らの受け取る感性を存分に発動して享受するという姿勢を含み込めそうだと考えていた。受講者の方々もこれに賛同してくださり、世間にもっと「読み語り」を広めるよう僕に求めた。
そうこうしているうちに、1班4名による群読『走れメロス』が出来上がった。多くの方が、人前で読むことには抵抗があるとおっしゃっていたが、50分の構想・リハーサルのみで、実に創意工夫に満ちた群読を披露するに至った。その発表までの過程全てが、各人の小説の読みを格段に深くした。「読み」は解釈という域に高まり、「語り」は小説を立体的に起ち上げた。そして相互に聞く側に回れば、自分ならばどのように読むだろうかという自己を起動させ、その琴線を敏感にして主体的に聞く姿勢があったと思われた。
再び役者・ギタリストから読み語りのプレゼント
聊か感激の深淵に巻き込まれた感性を、
最後には絃の優しい響きが癒し、受講者は各自の日常へと帰って行った。
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