学びはいつも新鮮でありたい
2014-10-03
授業での学びを創る要素とは「させる」のではなく「したい」を喚起する
単に知識を”お蔵”から出すのではなくして・・・
長期休暇を終えて授業が始まると言うのは、一抹の寂しさを伴いながらも再び喜びに出逢えたような気になるのは、僕だけであろうか。1週間の中に定期的に接して対話する学生たちがいるというのは、何ともありがたい。というのも「教える」ということは、あくまで「学ぶ」ということであり、そこに発見なくして成立しないと考えているからである。授業で語る内容というのは、毎度一様であるわけではなく、その時々の時勢や研究状況や、学生の構成メンバーで違うものになると認識している。
学び手こそが授業を創る。多様な反応や質問の多い授業は、話題が耕されて自ずと深くなる。反応も薄く質問も出ない授業は、表面的にならざるを得ない。指導者が「教えたい」と思っている範疇に学習者が食指を動かしてこそ、「学び」が起動する。僕自身の経験でいうならば、院政時代はまさに何もかも吸収したいという思いに満ち溢れていた。「質問」することなくして、「理解」したことにはならないと思っていた。些細な気付きであっても、また視点がややズレていたとしても、「質問」することで自らの理解が確実に促進したと自覚している。
「問(とい)」を「質(ただす)」
まさに学びの「質」を高める
明日もまた自身が新鮮な「学び手」として教室に向かいたい
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