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「時間切れ」では済まされない現代史

2014-09-29
「教科書は現代史を
 やる前に時間切れ」
(サザンオールスターズ「ピースとハイライト」より)

僕自身が高校時代、日本史を受験科目にしていたが、授業は殆ど当てにできなかった。自分でサブノートを作り、教科書を先読みして流れを掴み、個々の年代や項目を機能的に覚えようと努力した。その甲斐あってか、歴史そのものは好きになり、司馬遼太郎の小説に嵌り込んだりもした。まさに自学自習で歴史を学んだわけである。だが今思えば、歴史の要点を他者と議論する機会があれば、どんなにか認識が深まっただろうかという後悔の念がある。

教員になってから、勤務校での”その”ような歴史の授業に疑問を抱き、通史的に教師主導で項目を纏めることで知識を鵜呑みにさせる授業に対して、何度か疑義を呈したことがある。だが歴史の教員は、”こう”して「知識を効率よく纏めないと生徒は覚えられない」と鼻高々で、手前味噌な歴史講釈こそが最良の授業であると言わんばかりに、むしろ反論された経験がある。このように”流し込まれた”歴史知識は、受験という目的を果たすと、生徒の記憶から瞬く間に去り行くことが自明であるにもかかわらず。

この日、小森陽一氏の講演「平和憲法が輝く国 日本を取り戻す もう隷従はしないと決意して」 を聴いて、あらためて現代史の大切さを痛感した。僕たちの生きる「今」はなぜこのような社会なのか?集団的自衛権の閣議決定はなぜ問題なのか?現在の政権与党の性質は歴史的にどのような流れにあるのか?「PKO」「PKF」「NSC」そして「TPP」とは何の略称で、どのような歴史的意味があるか?等々・・・語彙と歴史的日付を組み合わせつつ、まさに「今」に連なる現代史を鮮やかに言説化する講演であった。小森氏は、漱石研究の第一人者でもある。文学研究に対する批評的精査という意味でも、その思考は実に参考になるものであった。同時に、今の若者たち、学生に対してどのように語り掛ければ伝わるかということを、端的に示していたようにも思われた。

己の生きる「現代史」を知らな過ぎる
この10年20年で何が起きているのか?
「時間切れ」では済まされないゆえ、語り合いの場を創るのが急務である。

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