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一般名詞より固有名詞

2014-09-27
個人情報は秘匿の時代
一方で匿名で何でも語れる環境
だが文学作品には固有名詞の力が・・・

「花子とアン」が最終週でまさに大詰め。ドラマタイトルにもある「アン」たる「赤毛の・・」がいよいよ出版されて物語を終えようとしている。出版社社長役の茂木健一郎さんの演技はともかく(脳科学者がどんな演じ方をするのか興味はあるのだが)置いておいて、出版に至るまでの書名の付け方の経緯に僕の関心が傾いた。花子自身は、読者の想像力を狭めないためにも「窓辺の少女」といった一般名詞を主張したが、出版社の若手社員が「赤毛のアン」という固有名詞による名称を提案したというわけだ。

物語主人公の「欠点+固有名詞」という構成のこの名称。まさに僕たちは、これこそが名作になったことを知っている。「戦後」という時代の中で、「赤」という髪の色への注目度、「毛」が連濁で「ゲ」と読むこと、更には「アン」という「母音」+「ん」という発音上の両極端(口を大きく開けるのと、閉じるに等しい状態にするということ)といった、たぶん花子も出版社も意図しなかった要因も鑑みるに、書名とヒットの相関関係をついつい考えたくなる。

僕ら研究者も、様々な場面で題名を思案する。それが目的に即しており、効果的かどうかを考えつつも、研究となるとお硬い名称にならざるを得ない場合も多い。だが、タイトルというものは、それを見ただけで、即座にその内容が推測され、読む者・聴く者の興味を惹くものであるべきだと改めて考えた。タイトルは最小の要約であると同時に、表看板であるということだ。奇しくもこの日「天声人語」を読むと、漱石の『吾輩は猫である』が「猫伝」、『三四郎』が「青年」「東西」「平々地」といった一般名詞のタイトルが候補であったことを教えられた。「吾輩」という一人称や「三四郎」という実名をタイトルにしたことで、漱石作品は今でも大変身近に感じられるわけである。

小欄の題名やいかに?
実名的な語り手が、実は夢多き”物語”作者なのかもしれない。
生きることそのものが、豊かな物語でありたい。
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