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態度が表現するもの

2014-09-19
腕を組んでいるという態度
「考えている」のか、「動作への拒否」なのか?
些細な態度が表現するもの

人間には、「言語外」表現というものがある。表情・動作をはじめとして、動かなくともどんな姿勢をとるかで、何らかの「思考」を表現してしまう。反転して考えるならば、他者の態度に何らかの「意味」を見出そうと、「解釈」を施していることになる。個々人でその「解釈」尺度は多様であろうから、気になる人とそうでない人がいるのも必然である。僕などの場合、本人の意識以上の「解釈」を施してしまう性癖があるのは、やはり文学研究者である宿命なのかもしれない。

東京でジムに通っていた折、其処のスチームサウナで思うことがあった。一人一脚を使用すべきと僕は「解釈」している肘掛け付きの椅子。その椅子を一人で二脚占有し、向き合いにしてそこに足を載せる人がいた。本人は悪気も無く行っているのだが、どうもその態度は見るに堪えなかった。いわば「解釈」尺度が、当人にとっては「快楽」追求であるのだが、僕の眼には「傲慢」の表明に他ならないと映るということである。

態度は、その人の「生活習慣」でもあると思う。日常的にどのような思考で「生活」しているか、それが”無意識”に態度として表面化するのだろう。それだけに、己を客観的に見つめる眼が必須であると痛感する。全てに配慮するのは難しい。だがせめて、「その場でそのような態度?」と「解釈」される可能性を検知できる「常識」を持っていたい。他者は、己の意識外から様々な「解釈」を施す。授業をする教員の態度もまた、多様な解釈に曝される。ゆえに態度・表情といった言語外表現にも、意識を向けるべきであると、教育実習を視察して痛感する。

他者は己を映す鏡
固着したり偏向を抱かぬように
自己の「生活習慣」を見直してみよう。
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