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やるせなさを超えて

2014-09-01
「夏は終わりを告げる」
そんなフレーズに感じるものは?
燃焼すればやるせなさもあらずして・・・

僕の大好きなサザンの曲には、「夏」をテーマ・舞台としたものが多い。最近は熟練度を増して、そこまで「夏」一辺倒ではなくなったが、やはり過去の曲は「夏」と「恋」が響き合うものが多かった。それゆえか、どうしても「夏が過ぎ去る」時季になって聴いていると「やるせなさ」が「伝染」してしまうことも避けて通れなかった。ある”年頃”には「やるせなさ」を通り越して「むなしさ」に襲われて、身動きがとれなくなったことさえあった。

ところが今年の夏、前半には東京往還を2度ほどと積極的に動き、後半は講習に時間を費やしながらも研究室で静かに自分なりの時間が持てた。ある時期には、夏の一定期間を海外で過ごして「やるせなさ」どころではなかったこともあったが、暑い夏というのはやはり「熱く」燃焼するような過ごし方をすれば、自ずと納得して「やるせなさ」に囚われることもないようだ。「暑
」から「涼」という皮膚感覚は、人を立ち止まらせて己を見つめ直そうとさせる何かがあるのだろう。

最近は、サザン80年代前半のナンバーを掘り起こして聴いている。その中に「旅姿六人衆」という曲がある。その一節に曰く、

「喜びや夢ばかりじゃない
 つらい思い出さえ
 ひとりきりじゃ出来ぬことさ
 ここにいるのも」

「旅」に「人生」を視るのは世の常道だが、これもまた同じ。「喜びや夢」ばかりでなく「辛い思い出」があってこそ「旅」なのであり、そこに「仲間」の存在が必要になるものだ。「仲間」と認識できる人の声は、人生を歩む上での応援歌となる。

「また逢えるまではこの時を
 忘れないでいて」

「旅」は「やるせなさ」の連続であるがゆえに、それを超える必要がある。僕にとってはサザンの曲自体も、大切な「仲間の声」のような気がしている。自分の中で”何か”を消化し納得させる際には、いつも何らかの曲が”特効薬”となる。読書でいえば、「再読」のような行為を人生の節々でサザンで行っているわけである。その力を以てして、8月のカレンダーを思いっきり引き剥がして9月にしてみよう。

夏の雨と暑さは豊かな実りに転化する。
穏やかな9月の目覚め!
やるせなさを超えて、サザンの新曲発売も間近だ。
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