母校が紡ぐ見えない糸
2014-08-27
どうしてこのタイミングでこの人と出逢うのだろうか
母校が紡ぐ見えない糸の不思議
人はその人生で、何人の人と出逢えるのだろうか?なるべく多くの人と出逢いたいと思うと同時に、自分にとってその思考に変革をもたらすような、質の高い出逢いこそが重要であると最近殊に思う。未見の他者との交流は、己を刺激し活性化し発奮させてくれるからである。こうした「対話的」ともいうような出逢いこそが、人生に豊かな彩りを与えてくれるものだ。
母校が人脈組織として、実に貴重であり豊かであり、また不思議でもあると思うことがある。「先輩後輩」という時間的な縦軸のみでは語り切れない何かがある。その縦軸に「地域」という横軸が作用し、更にSNSの援助を受けたことで、また新たなる出逢いがあった。
例えば僕たちの母校がある街では、サークルとか学部とか何らかの関係がある”未見の後輩”に飲食店などで隣席になったりすると、「先輩」は「後輩」に無条件で(飲食代を)奢るような”風習”があった。(どうやら現在でもその”風習”は絶えていないらしい。)ましてや、母校の街から遠く離れた土地で「奇遇にも」となると、ほぼ「母校出身者」という条件のみで、その”風習”は履行されるだろう。
どうして此処で出逢えるのか?
己には必ず「未完」な要素があって、
その糸がきっと「補完」してくれるということなのだろう。
- 関連記事
-
- 急がず間を楽しもう (2014/10/29)
- 電話はタイミング (2014/10/17)
- 自然と、自然に、生きるということ (2014/10/06)
- 道を拓く対話 (2014/10/01)
- 説明できない相性へのこだわり (2014/09/25)
- それぞれの「自分を追い越して」 (2014/09/23)
- 「闇」の先にこそ味わいが (2014/09/07)
- 母校が紡ぐ見えない糸 (2014/08/27)
- 初物を喜ぶこころ (2014/08/22)
- 充電する夏 (2014/08/14)
- こだわりの想い (2014/08/05)
- 想像の翼を広げて・・・ (2014/08/03)
- 言葉は己を写す鏡なり (2014/07/30)
- 揺れる想い (2014/07/26)
- 己の内なるもう一つの視点 (2014/07/21)
スポンサーサイト
tag :