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創意を潰さずにいたいー甲子園雑感

2014-08-17
また巡り来る夏の日
熱きスタンドにいた日もあった
甲子園って何なのだろう?

今年も甲子園で球児たちの熱い夏が展開している。などと「青春」「熱闘」「全力」などを枕詞に語られる舞台がある。もっとも最近は、「俳句甲子園」をはじめ文化的活動の全国選手権にもこの球場の名前が冠されており、一定の盛況に貢献しているようにも思う。少年時代からテレビ映像を観て憧れた高校野球の”聖地”。そこに至るまでの道程は辛く厳しくかくも儚い。そんな実感を出場校の教員として見守った日々もあった。幸いあの地で教え子たちが、優勝旗を手にするに至るまでの苦闘も共に応援団の一員として経験できた。今も尚、確実に日本の夏を飾る風物詩に違いない。

その甲子園で、「超スローボール」が物議を醸しているという。Web上でその球を受け容れられないといった趣旨の発言が、いわゆる「炎上」したというのだ。山なりに打者のタイミングを幻惑する球は、(高校)野球を「舐めている」ということらしい。特段、この議論に積極的に参加する意志はないが、「野球」に関することであるゆえ、聊か?表現したくなった。同時にこのような議論が展開する素地にこそ、(高校)野球に対する感覚の偏向が見え隠れすると感じたからだ。

抑も「全力」で投げる球が「正々堂々」という価値観で高く評価され、「超スロー」を「舐めた」と考える価値観が危うい。野球はもとより正攻法のみで展開する競技ではない。周知のように「盗塁」という、投手捕手の隙を突くことで好機を手にすることも多い。また甲子園で常道の「スクイズ」などは、打者一人が犠牲になって走者が本塁に駆け込む間を稼ぎ、まさに得点を「捥ぎ取る」戦術である。「犠牲フライ」も然り。本塁に帰る為の隙を創り出すということだろう。進塁を含めたこの「犠牲」という行為は、甚だ甲子園では(日本では)讃えられる傾向にある。もちろん、その「犠牲」を活かす為には、高度の技術が要求されるからでもある。とりわけスクイズなどは、バント技術のみならず、相手との駆け引きやタイミングなど、実際に成功するのは容易ではない。打者か走者として、またベンチでサインを出す立場を一度でも経験したことがあればそれは容易に理解できる。いずれにしても野球そのもの、いやスポーツそのものに「幻惑」する「戦術」とそれを成功させる「技術」は、儼然として存在しているのではないだろうか。

「柔能く剛を制す」の格言の如く、身体的には不利な条件にある投手が、自らの創意工夫によって、打者のタイミングを「幻惑」する球を投げられるよう技術を磨いたことを、むしろ讃えるべきである。質を伴わない力任せの「全力」こそ、批判されなければならないのではないだろうか。かねてから思うのは、確実に駆け抜けた方が早い一塁へのヘッドスライディングも然り。高校生の肘には甚だ負担だと百も承知な上での、無謀な球数の投球や連日の登板も然り。そのこと自体に一回性の儚い幻想を抱き「美しい」と讃美し、大怪我のリスクに目をつぶり、内実を視ようとしない「青春ドラマ」は、いい加減卒業すべきではないのだろうか。個の創意に富んだ発想を尊重してこそ、豊かな未来が見えるものだ。

文学でいえば、「詩」は「全力」でないと批判するようなもの。
「言語上の創意工夫に富む」もので、改行の妙により書かずして表現する力。
「散文」が「本道」で、「詩」は「側道」だという教材上の偏見にも似ている。

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