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己の内なるもう一つの視点

2014-07-21
中学生の頃の通学路
ラジオから流れる自らの声
そして親戚との交流を通して見えること

東京の実家周辺を歩くと、ふと様々な記憶の襞が紐解かれることがある。中学生だった頃の通学路を歩けば、暫く忘れていた当時の思い出が蘇った。毎朝、必ず一定の時間に家を出て歩いた道。その定時に精密にこだわるわけがあった。わずか50mほどの間で、必ず会いたい"ある女の子"がいたからだ。その女の子とは、その後何らの"進展"はなかったが、今でも鮮明に顔を思い出すことができた。「思い出す」と言えば、語弊があるかもしれない。今も「変わらぬ感性」が「息づいている」と言った方が適切かもしれない。

夕刻になって、自らが出演したラジオ番組が放送になった。収録の際、聞き手であるアナウンサーの方が、大変気分良く僕の話を引き出してくれた。そんな感触があったので、やはり微細な修正も施されることなく、自らの語る声が電波に乗っていた。なぜこの分野の研究をしているのか。これまでの経緯や経験を、あらためて己の内なるもう一つの視点で見つめ(聴き)直す。もう少しこのように話せばよかったという聊かの後悔がないわけではないが、打合せのみで、何ら台本のない語りこそ、僕自身が大切にすべきとしている「ライブ性」ある「行為」ではないのだろうか。あらためて「声の仕事」への興味が倍加したのは、確実である。

そして夜は親戚との交流。幼少時から育つ段階を相互に見つめ合ってきた従姉妹の言葉の中にも、忘れかけていた己がいた。既に鬼籍に入った祖母や伯母の話題を語り、また違った意味での己の存在が炙り出されて来る。小学校教員である従姉妹夫婦とこのような機会を通すことで、自らが教員養成の立場にいる宿命を再認識するかのようである。

ラジオを聴いたという友人からのメール。
幾つかの多様な経験が一つの結節点を僕に与える。
己の内なるもう一つの視点が活性化した一日。
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