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「本能寺の変」に思う

2014-07-14
織田信長という男
天下にあと一歩というところで
側近たる男の謀反により・・・

「軍師官兵衛」が、大河ドラマ恒例によって折り返しのクライマックスへ。権勢を極めつつあった織田信長が、側近である明智光秀の謀反により急転直下、炎の中に絶命するという場面であった。光秀による謀反の要因は、歴史上様々に検証されているようだが、信長の「鳴かぬなら殺してしまえ」といった横暴な独裁ぶりに、内部からも反感が募るのは自然な流れかもしれない。ドラマの数回前で、比較的中立を通して来た宇喜多直家が今はの際に、「信長は危うい」と官兵衛に囁いた場面が、伏線として大変印象的であった。

ドラマは勿論一定の「解釈」で創られているわけだが、この「本能寺の変」という事例は、我々に何を訴えかけて来るのだろうか。小中高等学校の歴史の時間に、「本能寺」の項目が出て来るたびに、「側近下臣の謀反」であることが妙に気になっていた。それを「下克上」という語で片付けて教え込まれた印象であるが、要はその事例の中で、人々がどのように思考し行動し世はどのように変化したのかを、もっと話し合いたかったと今にして思う。議論があれば触発され、歴史を自ら調べたくなり、問題意識も高まるわけで、そうした言語活動主体の教育こそが「市民」を育てることを、忘れてはならない。

さて、戦国時代という世の中にあって、まさに権勢を掌握するのは「力」以外にはなかったであろう。その”時代”こそが織田信長という寵児を生んだとも言えるのだが、強引で一方的で独裁的な発想は、いつの世でも内部に弱点を抱え持っていることを考えさせられる。孫氏の兵法には「戦わずして勝つ」という趣旨が記されているのだが、この大河の主人公・黒田官兵衛は、これを旨とした行動を心掛けているように描かれている。敵方の要害を水に沈める策を案じるが、短期間で堤を築く際に多くの周辺の民を動員する。その際にも報酬を惜しまず、また田畑が水没すれば米の配球を忘れない。いつの時代も、太平な世を願うのは戦乱に巻き込まれる弱い民である。戦闘も辞さない権力者の横暴は、剛強そうに見えて実は内外において脆弱性が伴うことを、現代の民として心得ておくべきだろう。

天正10年(1582)年6月2日未明
それから400年以上の月日が流れた。
武力を前提としない民主主義の世に生きる民として、希望の見える宵の内でもあった。
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