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「平和」とは「日常」を護ること

2014-07-11
台風が附近を通過
備えあれば憂いなしではあるが
様々な思いが頭を擡げる

南は沖縄周辺の島々に始まり、台風8号は九州に上陸し西から東に抜けて、四国から紀伊半島、東海地方から関東地方へと太平洋側を東へ進んだ。この列島でも南側に居住するということは、比較的勢力を保った台風と付き合うことになる。豪雨による被害、そして強風による被害などの可能性を考えつつ、不安な一夜を過ごした。思いの外、朝になると静かな状況であり、台風の眼に近いと雨風はそれほどでもないということも実感した。

そんな中、台風本体からは遠い長野県で土石流が発生し、中学生1名の命が奪われた報道を眼にして心が痛んだ。警戒情報なども出ていたであろうが、このような悲劇は後を絶たない。またお年寄りが田畑を心配して足を運び、水に流されるといったことも繰り返される。この列島で自然災害から身を護るには、どのような心得があれば万全なのだろうか?遥か昔から、台風や地震と付き合って来たはずの列島の民として、我々は何をどう対処したらよいのだろうか?東日本大震災という自然からの警鐘を、我々は置き去りにし過ぎではないのだろうか?

一方で報道される警句の過剰さも気になる。大仰な表現をしておいて、特に何もなければそれで責任は果たすという、社会の風潮が表面化しているのを感じざるを得ない。「予報」という元来が不確実な行為によって、人を動かす難しさ。「責任」が過剰に追求される「批判先導優位社会」の構造が、行政でも営業でも、ましてや教育でも、より「安全策」を講じる風潮が増しているようだ。日常生活の一端にも、「傘を持って行くべき」とか「外出は避けるべき」といった言葉が喧伝され、民は自己判断力を失って行く。問題なのは、その裏で社会の方向性が「自己責任社会」に大きく傾いてしまっていることである。

「平和」とは「日常」を護ることではないだろうか。
「(国際的)災害対応救助」の実現こそ、日本が「積極的」に進めるべき施策だろう。
東日本・阪神淡路といった大震災、そして戦争で失われた尊い魂たち。

きっと彼らは、「平和」な「日常」を何よりも護りたかった筈である。
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