七夕の夜霧
2014-07-08
星に願いをと思いきやあたり一面霧立ちわたる
ならば今宵も想像力を頼りに
七夕だからといって、特段のことがあるわけでもない。学生たちと話していても、特に七夕であることを意識している様子もない。今や七夕祭るのも、せいぜい小学生ぐらいまでなのだろうか。そういえば東京在住時に通っていた英会話教室の玄関には、毎年大きな笹が飾られていた。外国語を学ぶという環境が、むしろ日本文化で日常性を失った行事に眼を向ける意識が働くのだろう。
いつも通りジムで過ごす宵のうち。いつもながらのトレーニングに参加して、帰宅しようとした。外に出ると一面霧に覆われていた。接近している台風の影響もあってか、大気の状態も不安定なのだろう。星空を見上げるどころか、むしろ運転に注意をという意識をもちながらハンドルを握った。あれこれ思索しながら車を走らせると、いやむしろこの状況こそ情趣ありだと気付き心が揺れた。
『古今和歌集』巻四・一七六番に次のような「よみ人知らず」の和歌がある。
「恋ひ恋ひて逢う夜は今宵天の河霧立ちわたり明けずもあらなむ」
和歌という短詩型の中で、(本来避けるべき)同じ語を繰り返すことそのものが鮮烈に響く。恋情が尋常ならず、ただひたすら思い人を「恋いに恋い続ける」といった情熱的で盲目的でもある境地が、音律の響きの中によく表現されている。そして一年という時を経て、ようやく「逢える夜」なのが紛れもなく「今宵」なのだ。その刹那の逢瀬が少しでも長く続くようにと、「天の河の一面に霧が立ちこめて夜が明けないで欲しい」と願う心情を述べた和歌である。
織姫と牽牛の、ひととせにひとたびの逢瀬。そのせつなさを想像するに、運転する僕の心情は揺れた。晴天となり星が見えることだけを願うのが、世間的な七夕の通例であるが、「霧立ちわたる」光景に出逢ったのは初めてであった。何事も「通例」を抜け出してこそ、豊かで多様な発想に出逢えるものだ。古代和歌が訴える豊かな感情を、僕らは想像力という”武器”で思い知るべきなのだが、今宵はなぜかその現実に魅せられた思いがした。
帰宅して寝床に仰臥し、
あらためて『古今和歌集』七夕歌群を読む。
いま今宵の刹那の連続こそが豊かな人生であると悟る。
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