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「起動教材」という考え方

2014-06-26
教材を意欲的に読む
それで更なる意欲が湧く
能動的な活用発信型の学習へ

附属中学校での研究授業の日となった。4月に要請されて以来、僕にとって一つの「課題」となってきた日付である。”偶々”、朝からW杯日本代表の試合があった。結果は周知の通りだが、僕にとっては、研究授業に向けての気持ちの高ぶりの方が重要に感じられた。更には大好きな「”サザンオールスターズ”デビュー記念日」でもあり、今年の活動計画が公表された日でもあった。

中学校1年生の授業内容については、詳細な分析を加えて国語教育系の研究学会で発表をしようと考えているので、小欄での内容公表は差し控えておきたい。よって中学生を前に久し振りに教壇に立った感想を中心に記しておきたい。まず何よりも感じることは、中学生(特に1年生のこの時季)における好奇心旺盛な意欲である。教科書には掲載されていない詩を、新たな教材として開発したのだが、その題材への”喰い付き”が抜群であった。裏を返せば、教材とは、このように心を動かすものであるべきだと思う。

「音読」への意欲も上々である。「何のために声を出すのか」ということを活動前に明示して複数の音読方法で進行させたが、それぞれに対してキラキラした眼差しで、詩を読んでくれた。加えて、「黙読」の時間も確保した。「音読」と対照的な差を感じることで、個々人が心の中で出している声を、己自身が聴く意識が生まれる。詩を読んだことで、生徒の内部において何かが確実に動き出しているのを実感した。

後半、読みの深まりを音読に活かしていくための班別活動。やや僕自身の発問が、大局的で具体性を欠いたという反省はあるが、むしろそれが生徒の自力学習を促したという”気休め”を感じてもいる。詩の内容を、自己の体験や思いに寄り添わせる。個々に様々な疑問を、詩の語句に付箋で貼り付けて行く。それを班内で共有し話し合う。詩を「読ませる」のではなく、学習者自らが「読もう」とする活動となったのは、まさに「〈教室〉の奇跡」のような感慨を抱いた。学び手は刺激次第で、キラキラと光を放つものである。

1時間のみの「投げ込み授業」であるため、最終的な「音読」発表には、いくつかの課題も残った。だが発表者の中には、個性を発揮して詩の世界観を”自分のもの”にしていると見受けられる者も現れた。教材をまったく自己との関係なきものとして読んでいる以上、「国語」は面白くならないだろう。教材を”読む”中に己の姿を投影してみることで、「理解しよう」「表現しよう」という意欲が生まれる。ゆえにある意味で、刺激的とも挑発的とも思えるような教材も必要であると考えている。

過去の教員経験でも実感していたが、
やはり中学生の授業は、この上なく面白い。
「起動教材」という考え方で、彼らの「意欲」を存分に引き出したいものだ。
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