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「ハート・ロッカー」を言葉で語るには?

2010-03-10

9日(火)昨日のアカデミー賞授賞式をTVで見て、「ハートロッカー」対「アバター」という図式の「元夫婦」対決が、無性に気になった。周知の通り、軍配は「もと妻」に上がり6部門を獲得した。この時思ったのは、世評に乗って「アバター」は観たが、「ハートロッカー」は観ていなかったことが、何とも自分の物事を見極める眼が浅はかであったのかということだ。とりわけ、好きな分野においては、世評と違うものの見方をしたいという、批評的なものの考え方が習慣になっていたからだ。この「ハートロッカー」という作品の深淵を、自力で覗いておくべきだったというのが、授賞式を観た上での大きな感情の揺さぶりとなった。


 以下、まずは昨日のTwitterでTLを反転させ、その流れを再掲してみよう。


朝からハートロッカーを観る衝動抑えきれず。雨の恩恵、午後の野外での仕事はキャンセルに。迷わずスクリーンへまっしぐら!


張り詰めた緊迫の連続が描き出す現実感に、暫く感情の移入が許されない戦場の光景。その状態自体が、戦争を3D以上の迫力で我々に突きつける。「戦争は麻薬だ」という冒頭の言葉が跳梁する、余白に読むべきものは?ジェンダー論になるが、夫以上に直接的かつ痛烈な作品仕立ては女性ゆえの為せる技か?


ハート・ロッカーを観終った時に初めて、自分に戻ることが許されたような。しばらく立ち上がれず、そこでようやく2粒の涙が。早々に立ち上がり無頓着に生あくびをした隣のおっさんは、平和ボケの典型例かな。


映画を観覧し終えた時の感想は、ほぼこのコメントに集約されている。140文字しか書けないゆえに、考えに考えを重ねて書き込んだコメントが、2つ目のものだ。Twitterは「考えずに気軽に書ける」という考え方もあるが、むしろ「熟考し精選した言葉で書く」という立場こそ必要だという考えに同調している。というより、気軽に書き込む種類のツイートと精選した言葉で書き込むツイートの2種類があって良いのだと思う。

  この映画が、我々に突きつける現実感は何だろう?SFの世界観ではなく、今まさに戦場で起きている現実そのものを、よりリアルに描く。映画の中でありながら、観ている者を、戦場にいる錯覚に陥れる魔力。まさに映画の中でのテーマである言葉をパロディするならば、「映画は麻薬であり魔力である」ということを確信させる作品。「to get an adrenaline rush」という人間の本能に通じる部分を、映像という虚構の戦場が、現実の戦場に限りなく近づくことで、戦争という現実を知らない世界の人々を拉致した作品とも言うことができようか。どれだけの表現を使用すれば、この作品を表現できるのか?まさしく「筆舌に尽くし難い」である。

  ジェンダー論になるが、男の夢ばかりを追いかける幼児性がSFとしての「アバター」に表現され、諸点に於いて現実的で時に辛辣でもある女性の成熟味が「ハートロッカー」に表現されたのではないかとも思えた。行き着くところ、この2作品のテーマは、共通の岸に漂着するようでもある。「もと夫婦」が、共通なテーマを持ちながら、手法の違いという感性の相違によって対峙したという、世間にありそうな夫婦の離婚という現実さえも、キャスリン・ビグロー監督は、我々に見せてくれたのかもしれない。

アカデミー賞授賞式になって、世評を現実が一気に逆転するという劇的な手法を、無意識に仕込んでいたという偶然にも、「映画」を「麻薬化」する官能的な絶頂をみたような気がするのだ。
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