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「規範」に「拘束」された身体では・・・

2014-06-03
「姿勢を正して」とはいうのだが
「正して」とは何であろうか?
「リラックス」し「発言」しやすく「個性」が発揮できるのでは・・・

「体育座り」といえば、日本人なら大抵の人がわかるであろう。あの体育館の冷たい床の上で、膝を抱えて座り身動きができない状態のことである。小学校のときは何の抵抗もなく受け容れていたが、よく考えてみると身体を「拘束」するために大変適した姿態ともいえる。「静かに動かない」のをよしとする〈授業〉の中で、その座り方が最大限の効果を発揮する訳である。

〈教室〉での座学なら尚更である。「落ち着いて静かに反論せず人の話を聞く」のが、「模範」的な学び手として誉め称えられる。そのような学校空間で育てられた子どもたちは、例えばスポーツ競技の国歌の場面でも「身動き一つ」せずに「直立不動」を貫く場合が多い。他国の選手たちが身を捩り、肩を左右に小さく振る動作などをすることと相違を感じることも多い。確かに、例えば「ヨガ」的な発想でも「背筋を伸ばす」ことは重要である。だがそれは、全体に柔軟性があっての話である。気張って硬直した「正して」では、緊張を維持するのみで豊かな脳の働きを疎外しかねない。

〈教室〉では、豊かで個性的な発想による発言が欲しい。一律横並びな「優等生的発言」のみでは、学びは深化しない。集中せず落ち着かない子どもをどうするかは、指導者にとって大きな課題だが、身体を拘束して一律を求めているのみで、果たして思考力や想像力は育つのかと疑問に思うこともある。「静かで集団的規範に則った」ことをよしとする、没個性的な発想が今も尚、社会のあちらこちらで散見される。通例、社会で起きる凄惨な事件などの原因を、こうした「規範」の乱れだと指摘する声もあるが、むしろその反対で「拘束」する身体によって、精神の暴走を招いていることも考えてみるべきではないだろうか。子どもたちに、個性的なこころの発露がないのである。

大人の社会でも、ある「個性」を発揮すると、クレームとなって表面化することがある。眉を顰めたくなる「マナー違反」の範疇とは何なのだろうか?一定のパフォーマンスに許容される「個性」が、「規範」を遵守すべきという一律横並びな発想に規制されることがある。あくまで「大人」の範囲内での話であるが、「個性」の発揮によって、むしろ「排斥」の方向が示唆されることも少なからずある。

個性的な声で、個性的な発想を表現したい。
ヨガなどの考え方から、適切なる「正して」を考えたい。
「もの言わぬ」ことを、決して「学び」と呼んではならない。
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