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「宵がたり」の興趣

2014-06-02
「読む」のではなく、
身体内部から「語り」出す。
地元で活動される方々の「語り」会を聴いて

僕の勤務地を拠点に活躍するフリーアナウンサーの方々による、「宵がたり」会を鑑賞した。「語り」は「朗読」とも違い、本を読むのではなく、作品を完全に身体化し素で語り出す芸能である。視線・表情・小さな所作なども含めて、会場の観客との微妙な「対話」が作品世界を構成して行く。肉声であり聴衆との距離もある程度の範囲内が望まれるのではないかと、僕自身は思っている。

この公演で語られた三作品は、「器量のぞみ」(宮部みゆき作)・「桃太郎」(芥川龍之介作)・「しだれ桜」(瀬戸内寂聴作)であった。宮部らしく江戸の風俗を背景に展開する奇怪譚。昔話を背後から皮肉る芥川の筆法。そして瀬戸内(晴美という呼称が適する)らしき男女の性愛の機微を描いた秀作。それぞれが会場空間に、演者の解釈を伴って立ち現れた。

僕自身は、「落語」の心得はあるのだが、純粋な「語り」は公で行ったことはない。いやむしろ日常的な「授業」は、ほとんど「語り」と称しても差し支えがないかもしれない。「次に何を話そう」などということを考えるというわけではなく、自然と一定の筋が口をついて出て来るものである。僕の公開講座を聴きに来た母が、「よくもまああそこまで忘れずに喋れるものだね」と感心していたのだが、「語る」側からするとその内容さえ頭に入っていれば、特に「苦労」を感じないのが「語り」である。まさにそこが「身体化」ということになるのだろう。

フリーアナウンサーの皆さんとの
新たな縁にも恵まれた。
さて!この地域で「声」の創作を進める準備が整って来た。
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