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「ありのまま」と「抑圧」とー『アナと雪の女王』再考

2014-06-01
「ありのままの自分になるの」
巷のあちらこちらで聞かれる歌声
さて、ここまでのヒットになった一因は・・・


日本では記録的な興行収入で大ヒットとなった『アナと雪の女王』。以前にも小欄に映画鑑賞後の所感を記したが、休日にあらためてサウンドトラックCDを聞いていて、思うところがあったのでここに記しておこうと思う。筆者は冒頭「日本では、・・・」と書いた。25言語バージョンの”Let it go”があるので、多くの国でもそれなりのヒットとはなっているのだろう。だがしかし、「記録的」ともいえるヒットになっているのは、日本社会の現状にも大きな要因があるのではないかと考えた。

米国在住の親友がやはりこの映画を観たと、メールにその所感を記してくれた。その内容は「途中冗長だし、ちょっとわからなかった。」とあった。更には「最後、なんとなくわかったような。姉妹愛なのだね。」と彼女なりの納得が記されていた。「彼女なりの・・・」と書いたのも語弊があるだろう。むしろ”FROZEN”は、「姉妹愛(家族愛)」の物語であり、従来の童話型にみられる、最後は「王子様」に救われて愛の力が幸せを導く物語にはなっていないところに存在価値が見出せるのだ。あくまで男性は脇役的存在であって、間接的にアナ姉妹を援助する(あるいは陥れる)物語であり、敢えて言うならばそこに現代的な「男女相関」の形も見出せるかもしれない。ともかくこの作品は、従来の話型を超えようとしているところに魅力があるといえそうだ。

映画が制作された米国での受け止め方と、日本でのそれに聊かの相違を感じざるを得ない。テーマ曲の”Let it go”の訳詞が「ありのままの」とされた言語上の語感の違いも、相違を拡大する要因ともなっている。(決して「ありのままの」という訳詞がいけないと批判しているのではないので誤解なきように。むしろアニメの口の動きまで分析して違和感なき訳詞に辿り着き、現状の日本社会が受け止め易いフレーズにしたのはお見事である。)映画、特にアニメによるファンタジーであるがゆえに、そこに現実逃避としての虚構を見出し易いという条件がある。その「逃避」したい「現実」とは、まさに「ありのまま」に生きられない社会ということだ。映画全体の主張よりもまして、”Let it go”の部分に焦点化され誇張された受け止め方が大勢を占めているような気がする。(僕自身がこの映画を観た時には、”Let it go”が映画のあまりにも早い段階で登場することに違和感を覚えた。)

「自由」であるはずだとは信じながら、陰湿な「抑圧」社会をいつしか我々は構成してしまっているのかもしれない。学校社会に子どもたちが出会えば、まず「規制」に「抑圧」を受ける。〈教室〉では「思ったことを発言してもいい」という建前ではあるが、そう簡単には「思ったこと」は言えない「空気」が醸成されている。血がつながった家族間でも、果たしてどのくらい「ありのまま」でいられるのであろうか。更には恋人や夫婦間という愛し合う間柄においても、「ありのまま」よりもむしろ、思い込みによる相互遮断的コミュニケーション不全といった状況に陥りかねない。「伝え」ることをせずに自らの殻の中で己を縛り付け、身動きができないほどに「抑圧」してしまっている場合が多いのではないだろうか。

幸い僕は、
そんな「抑圧」からの解放を意図して生きて来た気がする。
それゆえに「ありのまま」の響き方が他者より薄いかもしれない。

「共感」を「現実逃避」のみで終わらせるのか。
それとも「ありのまま」生きようともがき苦しみながらも「行動」するのか。
ファンタジーにこそ生きる糧があり、「今」を変える力があるはずである。

みなさんは今、「ありのまま」ですか?

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