「わたし」を立ち上げる
2014-05-18
自分なりの意味を見出す夢中になり楽しむこと
60億のことばがある
春季研究学会の季節となった。自らの研究の相対化のためにも、また新たな刺激を求めて動き回る。発表を聴いたならば、極力質問に立つ。単なる受け手であるのではなく、そこに対話を醸成するためである。その議論に時間的な制約があるのは、甚だ残念であると思うこともしばしばである。
文学を読む上でも、「テクストの作り手と受け手との間の関係における平等を発見する。」ことが重要である、といった引用のある研究発表を聴いた。「作り手」が文学ではなく、研究のそれであってもまた、同じことが言えるのではないだろうか。権威的な「作り手」という幻想が、「読んでいるそのものに浸り込み、夢中になり楽しむ」状況を破壊する。
「わたし」を立ち上げることができるように、虚飾なる権威や管理から、僕たちは解放されなければならない。「僕たち」とは、もちろん学習者の多くを含む。文学と教育の融合には、こんな視座があることを悟る。そうしてしばらく、「わたし」との対話が醸成される。
いつしか京の街へ
ここは刺激的だ!
今日もまた、言語の枠を超えた議論に臨む。
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