真に批判されるべきものは何か?
2014-05-15
立場変われば言うことは変わるだがどんな立ち位置でも筋は通したいものだ
価値観の壁を作らない柔軟な対話ができる人でありたい
漫画の内容に対して、地方自治体が抗議の意を提起している。理由は、その地域の風評被害を助長するからだと云う。だがしかしこの問題は、一漫画に対して批判の矛先を向けるべきものなのだろうか?もとより、その「風評」の起因となったのは何だったのだろうか?批判すべき「元凶」に対しての調査や情報公開が曖昧であるから、「風評」が巷間を駆け巡りこのような「不幸」を生み出しているのではないだろうか。
一つの問題に対して、「漫画制作者(出版社)」か「地方自治体」かという二項対立の図式で「批判」が往来すること自体に、大変な違和感を覚える。この短絡的な構図の中に問題を押し込めて、「被害者」が「(風評を助長したとされる)作品制作者」を叩き、その「叩く側」に、問題を精査すべき政治家までもが加担する。こうした誤った構図の陰で、「風評」の元凶たる要因を作り出した人物たちは嘲笑しているに違いない。
漫画はもとより、フィクションを前提としているのではないだろうか。そこに描かれている内容を、どのように読むかは「読者の仕事」であり、多様な解釈が許容されて然るべきである。仮にこれが未来の予想図として描かれたならば、たぶん躍起になって批判する輩も現れないのではないだろうか。未だ現実が見えぬ現在進行形の棚上げされた(したい)内容であるからこそ、多方面からの批判となっているのではないか。「被害者側」の気持ちは他人には計り知れない。だからこそ、この問題の本質を精査し漏らさず情報公開し、「現実」とどう向き合って行くかという道を、まさに「国」を上げて取り組むべきだ。
漫画は日本の誇るべき文化である。
そこに描かれた食文化もまた同じ。
制作者の真意を汲み取れる「言葉」を持つ市民でありたい。
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