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過程や内実を見定めたい

2014-05-14
出来上がった文章だけが大切なのか?
表面的な看板に左右されるのか?
過程や内実を見定める眼を持ちたい。

学部3年生のゼミで、自己紹介文チュータリングの時間を設けた。文章の作成過程はこうだ。構想メモを元に口頭で発表した内容を録音し、それを文字起こしする。そこに自己添削を加えて提出する。僕が、文法・語彙・主述関係・修飾被修飾関係などの適切さを判断し、書き言葉としてアカデミックな色彩を施しつつ添削する。それを修正してきた文章に対してゼミの場で「チュータリング」を実施するのである。既に三段階の「過程」を経ている。

僕が施したように、他者(指導者)の添削というのが従来からの文章上達方法であった。だがそれでは一時的に「紙上」で文章はよくなっても、書き手である学生本人は育たない。これは僕の母校で全学的に実施している「文章チュータリング」という方法である。他者との対話の中から、書き手自身が納得し、文章が適切かつ精度あるものとして書けるよう、育てるという方法である。何より出来上がった文章よりも、「過程」を大切にする点に特徴がある。

日常生活でも、「内実」に十分こだわりたいものだ。巷間では、表面的な「結果」のみが批判され、その作品の真意が見過ごされてしまう風潮が否めない。物事の核心を歪めているといった批判は、元来そこに存在する「事実」を様々な社会的都合で歪曲して来た証拠である。「批判するという行為」そのものが、「批判の対象として浮上することだ」ということに権威者側にいる人間は気づかない。この「炙り出し」を勇気を持って敢行した作品制作者の熱意こそが、社会を健全に保つ為の生命線であると僕の眼には映る。

人は社会的に、性別・年齢・職業・経歴など変え難いものを身に纏い生きている。世間一般において「こうである」という公約数的な線で、その人を判断しがちだ。だがしかし、一般的な尺度に則って生きている人ばかりではない。むしろ、前述した「変え難い」ものに抗する姿勢で自らの歩みを進めている人々も多い。人に掛けられている社会的「看板」よりも、その人が「どのように個性的に生きているか」という「内実」を見定める姿勢を持ちたいものである。

話題が多岐に及んだ。
しかし重要視すべきは、
「過程」と「内実」に他ならないと、僕は確信している。
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