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研究の使命

2014-05-05
なぜ研究をするのか?
自問自答の果てに、
己にしか見ることのできない夢がある。

米国在住の親友が博士号を取得し授与式に臨んだ。日本の高校で英語教員をしながら資金を貯蓄した後、決意の渡米から5年9カ月目の晴れ姿である。嘗て「米国留学の方法」といった類の新書を彼女が読んでいて、「日本人で最短の(米国大学院での博士号)取得は5年ぐらいだ。」と言っていたことがあった。その「最短」に殆ど遅れることなく、その「本」の世界を現実化した。

何事もそうであるが、体験した者でなければ決してわからないことがある。空虚な机上の空論を語るのは容易だ。だがしかし、華々しい達成という現実に至るまでには、空論では済まされない苦闘がある。研究そのものを邁進するにも、何度も批判され叩かれては起き上がることの連続である。更には日常生活上において、研究の尊さをわからない輩からの無配慮な言葉が抵抗となって襲い掛かることもある。まさしく研究者とは、孤独な道を歩むものに他ならない。

僕自身も中高教員でありながら研究を進めて来て、今は大学教員となった。「でありながら」と書いたが、本心では「中高教員だからこそ」研究をすべきであるというのが確たる信条である。自ら学ぶ者でなくして、物事は教えられないと思うがゆえである。その信条をあらためて今、反芻する必要があることに気づかされた。

学位授与の日の感激は一生忘れられない。だが、あの帽子にマントを纏い「博士(・・)」と記された証書を一枚授けられる意味は何か。名刺に「博士(Dr)」と記すことができることが尊いのだろうか。否、其処に至るまでにどれほど言語と格闘し思考を撹拌し表現して来たかというすべての過程が重要なのだ。そしてまた、一つの達成を得た能力を、その後の研究・教育に存分に活かさなければなるまい。大学教員であるからこそ、既存の研究成果のみで語ること勿れ、である。実は博士号取得は、スタート台に立ったに過ぎない。

親友の勇気・苦闘・奮起に最大限の讃辞を贈りつつ、
自らの研究者としての使命をあらためて噛み締める。
これが僕らの生きる道、なのである。
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