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今こそ理性的平和構築を

2014-05-04
単なるGWにあらず憲法記念日、
今こそ「憲法」について考えるべきとき。
理性をもって学ぶ市民でありたい。

憲法と平和について、今こそ一人一人が考えるべきときだろう。第二次世界大戦の惨禍とその後の平和、これは、僕たちが当事者意識をもって考えるべきである。他人事のように受け止め軽薄な思い付きに偏りがちな世情であるが、自分自身が存在する系譜を考えてみて欲しい。僕の父は戦時中に小学生であったが、東京にいて機銃掃射を受けたことがあると云う話を聞いた。かろうじて向かいの家に逃げ込み命を繋いだそうだ。もし仮にこの時、幼少の父が被弾し落命していたら、僕はこの文章を今書くことはできない。いや、この世を知ることはないのだ。これぞまさに、当事者意識ではないのだろうか。

戦後69年間、平和が維持され僕たちはその恩恵を被って生きている。航空機から一般市民の子どもを機銃で攻撃するような行為が正当化される。戦争という狂気を二度と起こさないために日本国憲法9条があると学校で教わって来た。そこにはかつての戦火で犠牲になった方々の悔恨と、人類の叡智が凝縮されているのではないのだろうか。昨今、科学技術の発展のみを”英知”と語る文脈が溢れているが、本能的であれ幼稚な対立が無益であると悟れば傷つけ合うことを回避する理性こそ、本来的な叡智なのではないだろうか。

身を守る為に強固な武器を保持する。新大陸開拓の歴史的背景を持つ米国民の一部には、こうした思考が根強い。ゆえに銃社会による悲劇が絶えることなく散発する。この社会構造を見るにつけ、武器によって平和を構築するということは明らかな倒錯であると言わざるを得ない。圧倒的な軍事力を背景に、世界の指導者たる存在として「強い国」を標榜する米国は、平和維持に貢献しているように見えて、明らかに「対立連鎖の火種」でもある。膨大な軍事費、そして核兵器はもちろん無人攻撃機などの非人道的兵器の存在。そして野球開幕の如きイベントでさえ、最新鋭戦闘機が過大な燃料を消費して各球場上空を通過する。野球文化そのものに興奮を覚える一日本人として、僕は時折”我に帰る”ときがある。その米国との同盟関係に依存し平和を獲得し続けようとすることにも、どこか矛盾を感じざるを得ない。宮台真司氏のいう「強い国ならぬ、『強い国』みたいな国を目指したい。」(朝日新聞記事2014.3.14)という発想の上で、「人並みの軍事力を持ちたい。」(同記事)という幼稚な思惑は、平和を構築するどころか「対立連鎖の火種」に加担することになりかねない。

世界5位の自衛費と海上自衛警戒力を保有している。建前ではなく「軍事費」「海軍力」という言葉に置き換えられる。米ソ冷戦に際して増大した予算は、終結後も削減されることなく維持されている。独・伊などの諸国が明らかに予算上の軍縮を進めているのとは対照的だ。アジアが緊張しているからやむを得ないという。だが果たして、「北朝鮮脅威論」の本質はいかに、また中国との対立的外交を生み出している要因は何であるか?こうした実情を客観的に知ることが、まずは第一歩ではないだろうか。「『強い国』みたいな国」を目指して、「『空母』みたいな”護衛”艦」が建造されている現実。世界でどの国も見向きもしないミサイル防衛に、躍起になって膨大な予算を計上する無駄遣い。東京の市ヶ谷に迎撃ミサイル発射台を据える”夢芝居”を見れば、その内実は素人でも明らかだろう。一納税者として、一機何十億円という武器の”買い方”について無頓着でいてはならない。僕たちは学校で学ばない”現代史”を、もっと理性的に身に降り掛かる問題として学ばなければなるまい。この憲法記念日の学習会で、僕自身が学んだことから。

記憶を忘却するほどの愚弄なし
言語より武力という稚拙な愚昧
理性的平和構築を目指す市民でありたい
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