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音楽と仲間なくして人生何かあらむ

2014-04-29
ギターの音で涙あふれる
身体に染み込んだ曲を口ずさむ
そして仲間との再会

音楽も朗読もライブ性なくして語ること勿れ。そんな共通項を発見した。音源を通して聞く日常的な音楽を、ライブ会場で聴くということ。アーティストと観衆の対話的興奮の中から、聞き慣れた曲にも新たな発見がもたらされる。特に演奏者に近い場所で、生の音と演奏する身体を実感すると、熱い思いが背筋に湧き起こるものだ。

アーティストの音楽に対する熟練さが他の追随を許さないレベルを感じる。往々にして過去の栄光のみを翳して来日し、「金稼ぎ」と揶揄されるごとき"幻滅演奏者"も少なくない。その中で更なる進化と熟達した演奏技術を魅せるアーティストの存在は貴重だ。どんな年齢になっても、進化形を崩さない存在でありたいものだ。

ライブの感激を倍増させたのは、当該アーティストのカバーバンドをやっていた経験があるからだ。音楽に関しては素人であった僕を、バンド活動に導いてくれたかけがえのない親友たちがいる。この日は、ライブ公演を機に彼らと再会した。米国にいる親友は、飲み屋でのSkype中継という手段で参加した。まさに心の友との再会に、やや閉塞的に陥っていた己の思考が開放的に蘇った。

音楽も文学も、聞くだけ読むだけでは本質的な理解には至らない。ともに表現者の立場になって、演奏や朗読をして人に伝えようとする。次第にその曲目や小説のどこがどのように素晴らしいから、受け取る側の心を動かすことができるかが実感できてくる。受け身にならない主体的な芸術享受の方法は、曲の「カバー(コピー)」や自己の"読み"を活かした朗読をすることである。更にはそれを集団で組織的に成し遂げることで、音楽や朗読は人と人とを繋ぐのである。


距離を超えて繋がる仲間
音を磨き続けるアーティスト
音楽と文学、そして酒と仲間なくして人生何かあらむ!
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