「異邦人」であること

2014-04-28
「ちょっと振り向いてみただけの・・・」
かつて大ヒットした『異邦人』という曲の一節。
シルクロード的な雰囲気を醸し出すものであったが・・・

「異質」なものは、どのように見るかによって様々な価値観で捉えられる。冒頭に記した楽曲がヒットしたのは、エキゾチックな要素への憧憬を刺激するが如く、シルクロードが欧州から亜細亜へと続き多様な文化が交流したという歴史的な背景があったからであろう。「同質」なものの殻を破り、「異質」なものに触れることで、文化はまさに耕されて興隆するものである。東端に位置するこの列島に住む人々は、古来からその東西交流を糧に育てられて来たという事実がある。

明治維新以後の欧州文化からの、そして第二次大戦以後の米国文化からの”吸収力”は他国に類例を見出せないほどのものがあった。「青は藍より出でて藍より青し」の故事成語をそのまま実践したといってもよいだろう。個々の緻密で真摯な態度と「集団的意識と行動」が相俟って飛躍的な進歩を遂げて今に至るのである。個々人の取り組む姿勢に支えられながら、「集団的」になることで組織的に力を倍増させてきたという「精神史」を忘れてはならないだろう。

「忘れてはならない」といったのは他でもない。その「集団的意識と行動」が正の面で発揮されることもあれば、負の面に作用してしまうことがあるからだ。スポーツを例に語るならば、欧米選手に身体的には劣りながらも、組織力で守勢を貫徹したった1度の好機を逃さない試合運びをすることで勝機が得られる。これは特定の競技というわけではなく、多くに当てはまる勝利の図式である。団体競技であればこそ、個人技頼りの欧米チームにはこうした対抗手段が見出せる場合もあるということだ。だがしかし、その組織力が固着し動揺し均衡を崩した際には、徹底的なダメージを受けてしまうことも多い。「一丸となる」ことで多様な視野を失い、いつしか偏向をきたし全体が硬直し柔軟に受け容れる”遊び”を失う。組織力を発揮しようと思えばこそ、多様な思考の「個人」が大変重要な構成要素になるということを忘れてはならない。

ある方の記事を読んで思う。
「日本にいて異邦人であること。」ということばから、
「個」、そして冷静に現況を見つめる「現場主義」を貫くことの大切さを悟る。
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