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「話す・書く」して初めて「わかる」

2014-04-03
「卒論テーマがまとまりません。」
といって2名のゼミ生が研究室を訪れた。
さて「まとまらない」とはどういうことなのか?

2月、新4年生にはゼミ通信をメールで配信し課題を出した。
(1)卒論のアウトラインを整理し、数種類の字数(50字・200字・800字)で要約を作成すること。
(2)最低10冊、自分の卒論に必要な書籍資料を見出し、肝要な部分を読んでおくこと。(できれば春休みなので全てを読むべきなのだが)
(3)レジュメに上記2点を中心にまとめ、4月には3年生の新ゼミ生の前で発表ができるようにしておくこと。
以上がその概要である。

4月となりその期限も近づいたので、「卒論ノート」を携えて研究室にやってきたというものだ。卒論はもちろん「論文」であるゆえ、「ノート」を的確に作成しておく必要性があるだろう。(といって、時事ネタに引っ掛けた話もした。更に「引用」とは何かという話ももちろん。)以前から、チャート式にテーマを枝状に書き出し自分の思考を整理すべきという方法を教えていたので、あるゼミ生はノートにはそのような図があった。またもう一方のゼミ生は図書館で書籍検索をし、何冊かの資料に目をつけているようであった。

前者のゼミ生は、各章の統一感がなくまとまりがないのではという懸念を抱いていた。だが、こうした観点を持てば各分野が一点に合一してくるということを、僕が問い掛けながら語った。それを反芻するように彼女が次第に思考を整理して行く。こうした対話の中から、方向性が見えて来た。文学(作家・作品)と教材との関係性、過去の教材史、更には読書論や授業方法論に言及し5章立ての論文アウトラインが見えて来た。

後者のゼミ生は、文献検索段階でやや立ち往生していたようだ。文献が揃わないと研究が始められないのではなく、文献の中に示された森を歩くことで、行きたい方向が見えて来るものだ。その(自分が好きな)冒険を存分に楽しむべきだろう。すると芋蔓式に更なる興味深い文献が発見できるようになるものだ。何事も「歩きながら考えて行く」ものだ。文献を読むことで、自己の中にそれまでになかった発想を創造(決して「捏造」であってはならぬ)するのである。これこそ研究の楽しみである。

研究室での「話す・書く」が行われることで、
初めてゼミ生は「わかった」のだ。
何事も表現してこそ先が見えてくるものである。
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