支えてくれた人たちとの再会に
2014-03-30
年度最終週を迎えいくつかの思いがつのる向こう3年間というものは大仰ではなく人生の岐路であった
その時季に僕を支えてくれた人たちとの再会
ふるさとに訪ねたいものは何か?両親、育った街、そして世話になった人たち。その選択のあり様が、直近の僕の生き方を顕に反映しているようだ。長い間育った土地を離れて1年。特にこうした思いが最近は複雑だ。
0からの挑戦、先の見えない格闘。己を奮い立たせ、親しい人たちに励まされて、暗中の果ての光を求め続けた。その光たる新世界に今は身を置いている。過去の洞穴のごとき小径を歩いていた己を今は穏やかに振り返ることができる。
精神は身体の奮起に支えられる。数え切れない絶望に直面しても、先に進む勇気をくれたのは身体的トレーニングへの取り組みであった。しかもそれはトレーニングそのものではなく、確実に勇気をくれたある一人のトレーナーさんの存在だった。久しぶりに受ける彼女のレッスンは、やはり教え導くとは何かを考えるためのヒントが満載であった。レッスン後のささやかな会話と握手が、また明日への元気を何倍にも増幅させてくれた。
新しきこの1年間で得られた邂逅、同僚が東京で個展を開いていた。彼との奇遇ともいえる縁。「想次元」と題された作品を見るにつけ、思考の可能性とともに空想と現実の距離が可視化された。そしてまた、その作品群が都鄙を往還するのかと思うに、移動の混沌的な思考から何を生み出すべきかという課題を考えさせてくれた。
そして住んでいた地域の人々との再会へ。親友の経営するCafeに心を寄せている仲間たちだ。2度にわたる12時間耐久リレー大会出場というイベント。僕自身が店主である親友とともに演じた素人落語。幾つかのアクセントが、利害を超えてこの仲間たちを結びつけている。都会の闇を彷徨う孤独から救い出されたのは、この地域Cafeの存在であり、人々の温かい心であった。
都会に来ると時間が足りない。
まだまだ会いたい人は多いが、今回はこのへんで。
喧騒の中で自分の何かが確実に変化している自覚。
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