春を惜しむこころ

2014-03-28
さくらがほぼ満開となった。
それに寄せる僕たちの思い。
「春のこころはのどけからまし」

ちょうど1年前はどんなこころで同じさくらを見上げただろうか。1年にほんのわずかの時間しか咲いていない儚き花に、僕たちは強い思いを抱く。いや儚きがゆえに時間を凝縮させて、人間に様々なことを考えさせるのであろう。さくらには多様な意味で、日本文化のあり方が詰め込まれている。

最近、さくらに限らず花を愛でるこころが豊かになった。日常の喧騒からふと花の美しさに眼をやると、失っていたものが蘇るような気になる。そしてまた、その香りや色彩の豊富さに驚かされることも多い。せめて身の回りの自然とともに生きているという実感を日々持ちたいものである。

それにしてもこのさくらばなの存在は、日本の社会を4月始まりに固執させる上であまりにも大きな影響力を持っているようだ。蕾から開花し満開となり風雨に散り行くという、栄枯の時間的振幅を眼に見えてはっきりと僕たちに悟らせるからだ。そこに人の世の運命(さだめ)を誰もが読み取るのである。

春を惜しむは、さくらを惜しむこころでもある。
満開のさくらを前に、学生が登校しない時季なのが悔やまれるほどだ。
週末はさくら前線を、少々追いかけてみようと思う。
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