「横文字」ではなかったら理解できるのか?
2014-03-17
STAP細胞の論文を巡る問題。その信憑性が問われ研究所が会見を行った。
その際に記者たちはどれほど内容を理解したのかという話題に。
珍しく日曜日の昼時に、バラエティー番組を画面に流していた。世間を騒がせているSTAP細胞の一件につき、芸人たちが自由奔放なコメントをしている。その中で、果たしてあの会見で記者たちは内容を十分に理解できていたのか?という素朴な疑問が提示されていた。専門的にこの分野を取材している記者は「理解できた」と答えたそうだが、中には「横文字が多過ぎてわからない」と答えた記者もいたと、”ネタ”として使う場面があった。
これは「お笑い」ネタであるから、批判の気持ちは毛頭ない。だが素朴に感じたのは、「横文字でなければわかるのか?」ということである。更には、「横文字でなければどう表現するのか?」ということ。日本語の中の、「和語」や「漢語」を使用してこの細胞研究という専門領域を、どれほど精緻に表現する語彙を日本語は所有しているのかと疑問を感じざるを得なかった。
明治の文明開化期には、西洋文明を受け容れるがために、多くの外来語が「漢語」などを駆使して翻訳されて使用されるようになった。言語が実態文化に追い付こうとする営みがあったということだ。言語体裁として元来から論理性を備えていないともいえる日本語は、「漢文脈」によって同時代文明に即した機能を持つがために、たゆまぬ努力により進化がなされていたとも換言できるであろう。(細胞研究分野で、このような営みをすべきという意見を呈しているのではない。)
昨今教育分野でも、「論理的思考力」を養うというお題目が提示されることが多い。それは単に「思考力」の問題のみならず、日本語そのものを如何に「論理的」に運用するかという意識が含まれる筈である。大学生を見ていてもよくわかるが、「論理的」な発言・発表ができないのは、日本語表現を錬磨していないからである。科学的研究分野まで立ち入って語彙について調べたことはないが、新たな時代の新たな日本語を開拓していくという意識も求められていくのではないかと案じるのである。
母語としての日本語を自覚的に使用する。
そして、高い意識で開拓していく。
研究者「倫理」たるや、決して軽く扱ってはならない語彙である。
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