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3年目の3.11が教えてくれたこと

2014-03-14
3年目となる3.11.14時46分に何をしていたか。
僕自身も予想だにしないことだった。
震災とか罹患とはこういうものなのだ。

小欄を2日間お休みした。変わらず日々お読みいただいた方には、大変申し訳なく思っている。書き込もうと思えばできないわけでもなかったが、様々な思いを巡らしながら僕としては珍しく発熱に苦しんでいたゆえである。3.11.14時から近くの街の医院が午後の診療を始める。鼻水と喉の痛みという症状を憂え、風邪薬だけでも貰おうと思い保険証を受付に提示した。症状アンケートの画板と体温計を渡されて記入し計測して驚いた。38度半ば近くまで数字が上昇しているではないか。

そのまま待合室から特定の部屋に居場所を移された。明らかに「インフルエンザ」の疑いがあるということだ。それでもなお僕自身は、その可能性は低いのではないかと思い込んでいた。過去に罹患した記憶がないというのは、かくも甘く安易に恣意的な判断に陥るものかと、今にして思えば我ながら恥ずかしささえ覚える。鼻の奥まで検体採取のスジ状のものを差し込まれて甚だしい違和感。待つこと5分間ぐらいであっただろうか。医師から「インフルエンザB型」であるとの診断を告げられた。

医師は「インフルエンザ対応の治療をしますが、よろしいですか?」と僕に問い掛けた。強引に情報を開示もなしに進める医師ではなく、大変良識ある医師だと思えて安心できた。「インフルエンザ薬投与」をするということは、「異常行動」などの副作用があることは世間でも周知のことだ。そうした注意事項と2種類の薬品の特徴を説明した上で、どちらにするかの選択を僕自身が判断できた。僕は1回吸引するだけで、喉や気管支に直接届いてウイルス増殖を抑制する薬品を選択した。そして処置室で看護師の方に指導いただきながら吸引が開始された。時計は、14時46分を指そうとしていた。本来ならば3年目のこの時間に僕は、黙祷を捧げているはずである。それが増殖のスピードの速いウイルスへの対抗措置を講じていたわけだ。いやこれもまた僕に何かを教えてくれているに違いないと思うようにした。

実はこの日の午前中、かねてから予定していた有志学生たちの自主勉強会にアドバイザーとして出席していた。その冒頭で既に学生たちとともに黙祷を捧げ、そして「東日本大震災3年目にして思うこと」というテーマで議論をした。現行大学3年生の彼らは、高校卒業した直後に、3.11を”体験”していた。多くが九州地方出身者なので、”揺れ”そのものも体感せずTV映像などによる津波の映像が鮮烈に記憶に残っていると云う。僕の東京での震災体験も語り、この列島で生きる為にはどんな心構えが必要かなどを話し合った。そして将来の教員として、どんな”覚悟”をもっておくべきかなど、学生たちの意識を喚起するには十分な内容になったと自負できるものとなった。(この勉強会の最中、僕自身はマスク着用であったこと、その後、至近にいた学生には健康状態をメールで確認したことを、ここに書き添えておく。)

被災地復興に対して何ができるのか、ということを考えることは何よりも重要である。更には、これから日本社会を作り上げる人材をどういう意識で育成していくかということもまた、大変重要であろう。ましてや僕の関わる学生たちは、殆どが教員志望である。更なる将来の世代を担う子どもたちを、彼らがまた育成することになる。九州地方にもまた「南海トラフ」への備えをしておく意識を確実に育んでおくべきなのである。折しも、ようやく熱も下がり回復傾向になった昨晩深夜、僕の携帯から「緊急地震速報」の鳴動が響いた。伊予灘を震源とするマグニチュード6.2の地震であった。3年前、数え切れないほどこの鳴動によって僕は”覚悟”をもったことであろうか。その時の”身体性”は今も保存されており、インフルエンザ罹患などを忘れてしまうほどに、冷静に情報収集に動くことができた。

3年前、「日本社会は大きく変わるべきだ」といった論調も喧しかった。だが果たして本当に求めるべき方向に変わっているのだろうか?それとも何にも変わっていないのだろうか?変わることを望んでいてはいけないのだろうか?学生との議論でもこうした点について結論は出なかった。小欄においても3年前から「2011.3.11以後」のカテゴリを作成しいくつかの思いを書き連ねて来た。こうした個々人が思いを表現し、相互に考え合う機会や場を設けていくことこそ、「変わる」ということなのではないだろうか。奇しくも設定された学生たちの自主勉強会が、僕の中に新たな意識を喚起させてくれた。

そしてまた、皆が自分自身を丁寧に見つめ続けることが大切なのではないだろうか。インフルエンザに対して意識も高く、免疫力も高いと自負していた僕がなぜ罹患するのか?そこにはやはり生活そのものが招いた要因が必ず存在するはずなのである。そしてこんな苦しい時でも頼れる人間関係を、この新たに居住し始めた土地で構築できているのだろうか。深夜の「緊急地震速報」の鳴動は、この土地で震災の備えに対しての甘さへの警鐘である。病気も天災も(その備えという意味で)、ましてや人災は個々人の生活意識から生じて来るのではないだろうか。やや閉塞的で小さく窮屈な思考になっていた己に、インフルエンザウイルスは襲い掛かったのである。

3年目の3.11に際し、日常ではできない自己との対話ができた。
小欄の余白から生れ出るものもある。
回復に近い身体で、キーボードを打つ己の新しさを実感しながら記す。
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