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コミュニケーションに求められる「たいじ」

2014-03-05
「対話」「対談」「対論」等々・・・
「対」を使用した語彙はいくつもあるが、
その真意をどのように考えたらよいか。

昨今やたらと流行している「コミュニケーション能力」ということば。企業等が求人の際に求める第一条件がこれであるという。だが果たして求めている側であっても、その真意を理解しているのだろうかと思えてしまう方々も多い。往々にして安易にこうした語彙を使用する人に限って、「コミュニケーション能力」に欠けるからである。

教育現場のコミュニケーションを考えた論考は多々あるが、倉澤栄吉氏の『教室コミュニケーションの基礎理論』(東洋館出版1994)には、分析的な観点が示されている。「コミュニケーション」の要素を、三つの「対(じ)」に分類し、更に「対(た)」を加えて説明している。その三つとは、「対事」「対自」「対辞」であり、それに加えて「対他」が重要であると云う。

まずは「事」に通じていること、いわば話題(物事)について知識があるということ。そして「自分自身」について省察されているということ。使用する「言辞」について客観的な把握が成されていること。この三つがコミュニケーションの原点となる。そして何よりも「他者」の話を聴き理解できるということが肝要であるということになる。

「たいじ」という音からは、「対峙」という語彙が通常は変換される。手許にある『新明解国語辞典第6版』で「対峙」を繰れば、「1、[山や海峡の両岸などが]向かい合って負けまいとするかのように位置すること。2、にらみ合ったまま、動かないで対立すること。」とある。まさに『項羽と劉邦』の名場面にあるが、断崖絶壁を介して両岸に対抗勢力が「そば立つ」という図式を表現する語彙である。よって両者が「対立」しているという語感を含むことになる。

だが「対話」「対談」や「対論」も含めて、決して「対立」して「二律背反」になるものではない。強引にどちらが「正しいか」といった結論を求めがちであるが、そうした発想では発展性がない。三つの「たいじ」と「たいた」を踏まえた上で、相互に(一対一とは限らないが)関わった者全員が「新たな意味付け」を創造するのが、「対話」の基本的な考え方である。

巷間では都合よく使用される「コミュニケーション能力」、
その内実を精緻に分析し把握してこそ意味を持つ。
一方的で視野狭窄的な発想でこの「能力」を語ること勿れ。
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