パラリンピックをどう観るか
2014-03-02
「脳のマイナスはプラスになる。彼らは無理と思われることを実現して来た。
脳は何歳になっても自分を変えることができる。」
スポーツ番組で茂木健一郎氏がパラリンピックについて語っていた。
そう!ソチで観るべきことはまだこれからなのだ。
さらに茂木氏は、「パラリンピックとは、自分のこと。」とも語っていた。障害をもった選手たちの奮闘ぶりは、何も特別なことではない。健常であることそのものを忘れてしまっている者や、ましてや傲慢な視点しかもてない輩への警鐘ともいえる発想である。障害があって高度な競技をこなしているから賞讃するのではなく、あくまで一選手としての技術の高さや奮闘ぶりを、存分に観戦すべきではないだろうか。
マイナスを背負う苦闘は、たぶん本人でなければわからないだろう。だがそこからプラスに開発される能力が幾多もあることは、まさに”生きる力”なのではないか。何事も「不可能」と諦めるのは簡単である。だがそこから立ち上がり前進していくことこそ、”生きる”ということである。そうした過程の結実が、スポーツを通して表現されていく。まさに「僕たち自身のこと」を考える機会に他ならない。
「無理」と規定することそのものが、傲慢であるという逆説を孕んでいるのかもしれない。パラリンピックで競技内容が一定の枠内であるのも、我々の先入観による無意味な制限なのだろう。すべての人はみな、生きる力の可能性を秘めているのだ。6年後の2020東京五輪に求められているのも、豪奢な経済的基盤を世界に誇示するような幼稚な理念ではなく、個々の生きる力と尊厳を最大限に見つめ直す機会なのではないだろうか。
ソチパラッリンピック開幕にあたり考えたこと。
東京でスポーツ推進に関わっている親友の顔が思い浮かんだ。
彼は明らかに「パラリンピック重視」を唱えていた。
その発想そのものが、日本のスポーツ界を変革させていくだろう。
僕自身の脳を変えていく6年間として、親友との対話を行動に移していきたい。
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