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「どうしようか」よりも「どうしたか」

2014-02-25
「選び疲れて眠るより、歩き疲れて眠りたい。」
(砂漠の民の言葉)
『人生の地図』(高橋歩編著・サンクチュアリ・パブリッシング 2003)より

誰しも時にあれこれと選択に迷うことがあるだろう。今日の食事にしても、夕食後の行動でも。はてまたそんな些細と思われることではなく、人生の分水嶺ともいえる領域で「選び疲れ」ることもある。進学先や就職先をどうしようか等々・・・。人生とは旅であるがゆえに、その途を「選ぶ」ことの連続であるかもしれない。そこで冒頭の言葉である。どうせ疲れるなら、「歩き疲れ」た方がいいとつくづく思うことがある。

「選ぶ」と「動き」は停滞する。高速道路の岐路(特に首都高のランプ等)の真ん中で、停車してしまっている車を何度か見たことがある。(かくいう僕も、米国のハイウェイで”やった”ことがある。)その「悲哀さ」は、何とも言葉にならない感覚だ。横目に「馬鹿だね〜」と声を上げながら、実はその「停滞」を誰しもが恐れているに違いない。もっとも最近は、ナビという強い味方があるのだが。

「停滞」すると不安が増大する。それが長く続けば、自分を信じられなくなる。その喪失感が更なる「停滞」を生み、先へ進めなくなる。負の連鎖が連鎖を生み出し疲弊していく。「選び疲れる」というのは、こうした原理に則ったものではないだろうか。「歩き」続ければ、自ずと見える風景は変化し、たとえそれが負の方向であったとしても自信を喪失することはない。「歩き疲れ」た眠りは、実に爽快なものである。

ふと、トレーニングをしながらこう考えた。
筋トレに無心に挑むことで、また心が「動き」始めた。
その先に、心地よい「眠り」が用意されていた。
僕自身の1日に「歩き疲れた」からだ。
「どうしよう」よりも「どうしたか」が、
遥かに爽快な眠りへと誘ってくれるものだ。
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