攻めの姿勢を本能的に
2014-02-18
誰しも失敗は怖い。何事も上手く運ぶようにと願って行動している。
だが、思い通りに行かないことの方が多いのが現実。
その時にどのような姿勢をとるか。
そこが好転への分水嶺なのだろう。
ジムで珍しくTV付のバイク選択してを40分漕いだ。通常は脚を動かしながら、いくつかの思考整理をする習慣があるので、(TVのない)雑念の入らないバイクを選択している。だが現在行われている五輪から何らかを学びたいという思いが、映像を求めた。そこに映し出されていたのは、男子フィギャースケートで1位となった羽生結弦(はにゅう ゆづる)選手の姿であった。
番組は、彼が今回の五輪で1位(意図的にメダルの色で表現しない)になるまでの経緯を辿るドキュメンタリーであった。幼少の頃の映像を始め、なかなか4回転を成功できない頃の苦闘の姿を見ることができた。そしてまた4回転ジャンプがどれほどに高度な技術を必要とし、鍛錬を重ねたアスリートでしか成し得ない技であるかが理解できた。
何より一番感心した点は、今回のソチ五輪で1位となった際のフリーの演技についてである。最初に跳んだ4回転サルコーの着地に失敗し、また3回転フリップでも両手をつくなど、序盤での失敗が目立った。だが彼は後半になって、何物かに取り憑かれたように跳べるだけ跳び続けた。本人もインタビューの中で、「跳ぶのが(無意識の)本能のような感じになった。」といった趣旨の発言をしている。その結果、ショートプログラムの貯金も活かし1位となることができた。
人は誰しも貯金を守ろうとするような精神的作用が働く場合が多い。羽生選手がフリー序盤の失敗から、もし更なる守りの姿勢に入ったらこの結果は伴わなかったであろう。演技中という究極の状況の中にして失敗を補う、いや失敗を自由な翼に変換するような精神的作用が彼の中で生じたように僕の眼には映った。「(無意識に)本能的」というような作用が生じた時には、ある種の「フロー状態」となり、より攻めの姿勢で前向きな行動を展開することができる。それは僕などが研究学会や朗読などの発表する際にも、似たような作用が生じることがある。だがその状態に入り込むには、他者が計り知れないほどの鍛錬や準備が必要であることも確かなのである。
そんな映像を見つつ40分の身体的鍛錬が終了した。その後、筋トレ系スタジオプログラムでは、トレーナーさんが「(今日は)攻めるように種目を重ねます。」といった趣旨の発言をした。彼女が羽生選手の映像を観たかどうかは定かではないが、この日のトレーニングはリズムに富み、躍動感に溢れていた。通常は丁寧な説明を加えてやや迂遠な構成のプログラムになりがちであったが、「攻めの姿勢」が快適なトレーニングリズムを生み出していた。
行動の価値は失敗した後にあり。
そこで恐れず前を向いて進めるかどうか。
自分でも制御できない「本能」に突き動かされる感覚。
それは、日常で積み重ねて来たものがあればこそ可能となる。
失敗を悔やむよりも、次の攻めの一手が命運を分けるのである。
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