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虚しき投票率が示すもの

2014-02-10
近所の馴染みの料理屋店主の言葉。
「こうして政治の話をしないといかんですね。」
果たして現在の経済政策でいいものか?
地方と中央の差が拡大するばかりではないか?
一献を傾けながらしばし語り合った。

僕の故郷・東京の知事選挙が行われた。投票率は46.14%で過去3番目という低さである。因みに覚書として記すならば、2番目は03年44.94%、過去最低は87年43.19%である。このワースト3がそれぞれそのような要因を抱え込んでいるのかを分析する力は僕にはないが、この20年間ぐらいの間に世相が政治に対する関心を失って来ているのではないかという危惧を、抱かざるを得ない。今回の場合は前日に記録的な大雪に見舞われて、足下が悪かったのも一因であるとは思うが、それにしても「足下」と「民主主義」を天秤に掛けて、「足下」に軍配が上がる「意識」でいいものかと切に思ってしまう。

昨年3月、東京都民としての住民票から僕の名は外れた。生まれて初めてのことだった。有権者となってから、とりわけこの15年ぐらいの間は、どのような選挙であれ投票しようと考える候補者の演説をなるべくライブで聴きに出向き、投票する人物を決めて来た。「世論」や、ましてやメディアの「調査」や「論評」に依存する判断を排除したいがためである。公共交通機関が発達し繁華街も多数ある街・東京では、時間さえあればそれが容易にできた。群衆の中の1人として、この演説を聴いている1人1人の票が、政治を変えて行くのだと信じていた。ある方の選挙応援にも微力ながら携わり、その厳しさも実感していた。こうした行動が、「市民」としての最低限の義務ではないかと思うようにしていた。

もはや現在では、都知事選に投票したくてもできない身になった。傍観者としてできるのは、友人・知人たちにSNSを通じて呼び掛ける程度のことだ。こうした「虚しさ」を煽るかのように、悲惨な投票率による選挙が終わってしまった。53.86%の人々は、権利がありながら僕と同様に傍観者であった。いや「同様」でも「傍観者」にもなっていないのかもしれない。「どうせ何も変わらない」「結果は事前にわかっている」(投票終了と同時に「当確」が出るメディア構造なども大きな影響を与えている。この問題はまたあらためて論じたい。)「自分には関わりがない」といった気持ちが様々な要因で作用し、期日前を含めた投票所に足を運ぼうとしない。そればかりか大都会の「集団催眠」にかかってしまい、群衆的横並意識が民主主義への参加を拒否させているのかもしれない。たとえ「第二の」でもいい、「故郷」という意識でその”舵取り役”を自ら選ぼうとする意識が、限りなく純粋で崇高で貴重なものかを、少しは自覚して欲しい。

再び料理屋の店主の言葉。
「昔は、こうしてどこでも政治の話をしていたんだがね。」
彼もまた東京が故郷であり、この地に移り住んだ人。
「また東京へ行こうかな!」と彼は心の底から語った。
地方の小さな居住地域であっても、せめて「市民」としての語らいを僕は続けて行く。
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