憂鬱の置き処
2014-02-08
仕事をしていても運転をしていても
頭を擡げる「憂鬱」なこと。
心のどこかに一時保管庫でも
あればいいのに。
仕事の時節柄、大量の文章を読んでいる。そして客観的に批評しなければならない。個々の文章は論理的に書かれているのであるが、それでもなお”物語”がないわけではない。その”物語世界”に一時的に移動し、いわゆる没頭をすることで日常の憂鬱から逃れられることもある。ところがいつしか物語の催眠から覚めれば、再び憂鬱が眼前に儼然と立っている。
運転をしていてもまた同じ。しばし好きなサザンの曲に身を任せてハンドルを握る。個々の曲にロマンのある物語が埋め込まれている。その主人公になり果ててフレーズを口ずさむと、どこか異世界にタイムスリップしたような気になって来る。だがある曲の物語が、自分の体験と重なり合う交差点を通過すると、すぐさま憂鬱な心の回路に戻されることもある。
どうやら憂鬱は、どこかに保管しておく性質のものではないようだ。様々な方法で”物語”に触れて、己と異世界を交錯させながら変質させていくべきなのだろう。その変質の過程では、計り知れない苦痛を伴うのも自明のこと。だがしかし必ず通過しなければならない道なのである。裏を返せば、そこに”物語”が必要だということになる。
こうして文章を書けば、
冒頭の己と今では変質が認められる。
忘れてしまう心の襞を語るということ。
小欄「虚往実帰」の理念はこのようにも換言できる。
サザンの曲に曰く「悲しみよこんにちは」
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