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「対費用効果」の悲哀

2014-01-30
「対費用効果」に見合わないので〜。
昨今、よく聞くフレーズだ。
経営的思考からすると「当然」だと言われてしまうのだが・・・。

何をやるにも資本が第一ではある。「地獄の沙汰も・・・」とはよく言ったもので、たぶん貨幣的経済社会となって以来、「金」を中心に価値観を判断するという必然が続いて来たのであろう。だがしかし、それにしても「金」を吊るして「効果」との関係性で、全てを判断して行くという過剰な価値観が、世に蔓延していると感じざるを得ない。

特に僕たちが真正面から取り組む教育においても、「対費用効果」の価値観が横行している。必然的に、どんな具体的な「力」を学習する者が付けたかということが重要視される。よって眼に見える「学力」として資格・検定といった、能力を「数値化」できる材料のみで「学力」を判断しがちになる。もちろん学校では、子どもたちの関門となる「入試」において、「効果」を上げる学習を「費用」を出している保護者は求める。多様なものの考え方や人として豊かな感性などは置き去りにしても、「対費用効果」に優れた「商品」を学校は提供することに躍起になる。その分野で優秀な「商品」を提供できる学校が、「実績ある」と評価される。

だが果たしてこれで子どもたちは、幸せな人生を送れるのであろうか?甚だ疑問である。僕自身も首都圏出身のせいもあって、私立中学受験の経験者だ。小学生のとき、野球や剣道や絵画(実はこれも意外と得意だった。)を辞めてまで、進学教室に通わなければならない自分に、どこか疑問を感じていた。勉強は学校で学ぶもの、それでいいではないかと子どもながらに思っていた。私立中学校に入学してからも当初は、小学校からの継続で同じ進学教室に通った。それでも1ヵ月もしないうちに野球部の練習を優先して、最終的には自分自身の意志で進学教室通いを辞めたことが、鮮明な記憶として残っている。

哀しいかな・・・
「対費用効果」の価値観ども。
「知性的・感性的成熟」は「数値」では計れない。
少なくとも「利益誘導型教育」から自ら抜け出し、
「知性的・感性的」に人生を歩んでいる己は守り続けたいと思う。
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