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卒業生がいう「変わらないですね」の意味

2014-01-22
卒業生に久方ぶりに会ったとき、
大抵「変わらないですね」と言われる。
その言葉を精緻に解釈し色々と考える。
決して僕だけが言われるわけではない言葉。
その意味がようやく腑に落ちた。

誕生日を迎えた。早朝からのメール(いや深夜から)やSNSを通じて多くの方々から、祝福のお言葉をいただいた。大変ありがたいことである。この場をお借りしてあらためて御礼を申し上げたい。ありがとうございました。誕生日の祝福とは何なのだろうかと、数年前から考えるようになった。この世に生命を受けた記念すべき日。自己が生きている始発となった日付。その日から時を刻み続けていることを自覚すべき日ではないかと最近は考えている。それゆえに誕生日近辺で人間ドッグを受診するようにしている。(今年はまさに当日)それは、自覚できないところまで「変わらない」かどうかの点検をしたいがためである。

精神的には「実年齢×0.7」が現代社会では妥当だと思っているので(過去にそんな記事を書いた)、「若返りの日」でもあると思うようにしている。その「×0.7」あたりが大学院で苦労していた頃の年齢でもあり、その痕跡を忘れないためでもある。いずれにしても誕生日は「プラス思考の加算」であり、マイナス思考な退化・老化といった”感情””実感”は抱かないようにしている。身体の新陳代謝によって、今もなお進化し続けると”勝手に”思っているのである。


内田樹氏の『街場の憂国論』(晶文社2013)を最近読んだので、気になった点を小欄で紹介している。(自己の覚書の意味もある)本日も次の一節を引用しておこう。

「大学と教師は、「卒後の自己教育」にとっての観測定点であり続けるという重要な任務がある。」(p320)



おもに社会人となった卒業生が、「自己教育」により「成熟」を目指すがために、大学そのものや教師を「定点」にして、自己の変化を「観測」するのであるというのだ。こうして言説化されると実に腑に落ちるのだが、僕自身もそうやって大学教師との卒後の交流を続けて来た。またたぶん高校でも中学でも、微妙な差異はあるだろうが同じような「機能」を教師は担っているのではないかと思う。「先生!変わらないですね」という卒業生の言葉は、彼・彼女らが「自己教育をして在学時よりも、これだけ成熟できました。」と自己確認をしている言葉でもあるということだ。そういう意味では、教師は自ら「変わらない」で居続けるという使命があるようにも受け取れる。

ここで前項で記した誕生日のことと併せて、僕なりの「変わらない」観を「自己確認」しておきたい。「変わらない」ということは、同じ職場にいることでも見た目が老化しないことでもないと僕は思っている。時とともに人も動いている。その潮流の中で「変わらない」(と受け止められる)には、卒業生の潮流にもリンクするが如く動いている必要があるように思う。じっとしていて「本当に」在学当時と「変わらない」でいるとしたら、たぶん卒業生は「変わった」(退化した)と感じるに違いない。在学時に提供できた”熱さ”のようなエネルギーを発散し続けていることが、「変わらない」ということではないだろうか。もとより公立小中高教員であれば、同じ”箱”の中に居続けることは実務上不可能である。まあ大学であれば可能かもしれないが、大学間の人事的な”流動性”は、ある意味で自明のことである。(特に昨今、正負双方の意味で)ということで、決して卒業生にとって校舎やグランド・体育館も重要な「観測定点」であることは理解した上で(僕自身も母校の校舎が取り壊される光景を眼の当たりにして愕然としたので)、教師がそれであり続けるには、「進歩的変化」の中に身を曝している必要があるのではないかというのが、僕の持論である。現にそのように歩んで来た今がある。

卒業生によっては、
僕は「定点」としてわかりづらいかもしれない。
初任校の部活のOG会で「先生!若返りましたね」と言われたことがある。
決して実質的にそれはあり得ないとは心の底で思いながらも、(何せ20代の頃だから)
いまは”あの頃”よりも成熟して歩んでいる「自己」を発見する思いがしたのも確かだ。

誕生日を迎え、両親に感謝して記す。
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