あの1日が人生を変えた
2014-01-19
受験の記憶を辿る。忘れられない人生の岐路となった1日。
積み重ねを「表現した」といえばそうなのだが、
たった1日で大きく人生が左右された。
志望校合格だけを願っていたあの頃。
今年も受験シーズンが到来した。この列島で一番寒く流行性感冒も盛んな時季に、受験生は人生の岐路を決する日々を迎える。「人生の岐路」とまでいうと大袈裟と感じる向きもあろうが、その日の筆記試験のみで、どの大学に入学できるかが決する。学歴社会は長年問題視されながらも、(たぶん)一向に本質的な改善をすることはなく現在に至る。まさに”一発試験”で結果を出すという”能力”が問われているのだ。
それはどこか野球の打席にも似ている。野球選手であれば、どんなに優秀でもせいぜい4割の成功率である。受験の場合は、例えば模擬試験の「合格判定」が、「A・B・C・D」などと表示される。大概の判定基準からすると、「C」で50%程度の成功率が見込めるということになろう。とはいえ80%以上の「A」であっても合格が確実なわけではない。などと”受験産業的論理”で考えれば考えるほど、受験機会を増やして(所謂)打席数を増加させれば、ヒットの確率も高まるということにもなる。それに輪をかけて、高等学校が合格実績”競争”の渦中にあるため、『受験指導」という名で、受験校数増量を”推奨”することになる。高等学校教員は、それが生徒たちのためにも、学校の未来のためにもなると信じて疑わない。
へそ曲がりの僕は高校3年生のとき、担任の”言い分”に真っ向から逆らい、最低限の本当に行きたい志望校学部しか受験しなかった。三者面談などで、担任が受験校の増産と「滑り止め」校を受験するよう、(親切に)勧めるのを全て拒否した。担任は、僕が「どうしても」と考えている志望校には「到底合格はしない」といったニュアンスの言葉を吐き捨てた。(この担任が、どれだけ意図的にこうした言葉を僕ら親子に投げ掛けたかは定かではないが)この言葉で僕の心に火がついた。「絶対にヒットを打つのは無理だ!」と言われて打席に入る野球選手の心境。その限られた打席に僕は賭けた。(それでもなお、成功しても素直に喜べない受験校が1校だけあった。そのあたりの事情は差し控える。)
それまでの模擬試験結果や高校での成績からすれば「無理」と担任が「判定」していても、その一打席でヒットを打てばいいのだ。決して本塁打はいらない。詰まって野手の間とかバントヒットでも、1塁でセーフにさえなれば得点が入るのだ。たぶんそんな「制度」に助けられて、僕は担任教員との”勝負”に勝った。これはまさに「一発試験」だから為せる技とも言えるであろう。だがしかし、その時の僕はそうは考えなかった。高校生活で部活動と勉学を両立し、そこで養った集中力があったからこそ、最終打席でヒットが打てたのだと思った。こうして自己の受験の思い出を語るにつけても、未だに「一発試験」方式を改善すべきか否かという”疑問”に明確な解答を持てないままでいる。(というより基本的に日本社会が、この部分を改善しようとしながらできないでいる。)自己の中での成功体験として「あの1日が人生を変えた」と刻印され、それが後の生き方の支えになってもいるからである。
人生は何度か追い込まれた方がいいのかもしれない。
意識無意識は別として、どちらかというと自分で自分を追い込むタイプ。
そんな重圧を跳ね退けることが生きる力にもなる。
あの1日を今も脳裏に反芻しながら、
僕は今、「こちら側」の立場にいる。
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