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「教育の奇跡」を信じて

2014-01-18
「人間は知っているものの立場に立たされている間はつねに十分知っている。」
内田樹氏が『街場の憂国論』の「教育の奇跡」(P280〜P289)の項で引用する、
ジャック・ラカンの言葉の主旨である。
そしてこれを「もっとも挑発的で、生産的な命題の一つ」だと内田氏は語る。
僕たちは、「教育の奇跡」を信じることを止めてしまったのか?

僕自身も大学学部を卒業後、中学高校の「教卓のこちら側」に立つ身であり続けた。その間、何人に対して「教える」という行為に及んで来ただろう。比較的最近の卒業生は、SNS等での繋がりもあり現況を逐一知ることができるようになっている。この3月に大学学部を卒業する”連中”などは実に思い出深い生徒たちである。その誰しもが、僕が「教卓のこちら側」で大学生活についてを語っていたことを遥かに「凌駕」する豊かで納得のいく4年間を過ごしている。(ように見える。)

かなり初期の卒業生からも、子どもの写真入りの年賀状などが毎年届き続けている。既にその子どもたちというのは、彼・彼女らと出会った頃のその歳になったりもしているように見受けられる。はてまた、プロスポーツ選手として活躍を続ける教え子たちもいる。どんな立場になっても僕を「先生」という立場で接してくれる人間的成長を見ると、彼らに対して「教卓のこちら側」から「スポーツ論」を”偉そうに”語ってよかったという思いに浸ることになる。いや、既にこうした卒業生の中には、その当時から十分にその人間性を含めて、僕の存在などを「凌駕」する可能性が、十分にあったということだ。

それでもなお、子どもに恵まれて幸せで豊かな生活を送るであろうとか、プロスポーツ選手になるだろうとかいう先入観や予言があったとしても、僕は「教卓のこちら側」から語る立場を貫き通したということだ。「こいつは有名な超高校級の選手だ。」とわかってはいても、「教卓」を介せば、僕が必ず「教える」側なのであった。だから実感のない趣味としての領域で、「日本社会とスポーツ論」を彼らに語ることができた。僕は「知っているものの立場」に立たされていたのである。たとえ自分が「超高校級」の選手経験などないにしても。「教える」ということは所詮、そういうことなのではないだろうか。文学も歴史も数学も化学も物理も外国語も、すべてそれを「教卓のこちら側」にいるから「十分に知っていた」ということに過ぎない。それを自分だから「十分に知っている」のだと勘違いしている教師がいたとしたら、それは傲慢以外の何ものでもない。(歴史などに、そういう教師は「十分に」たくさんいるのだが。)

だがしかし、「教育制度に対する敬意」があったからこそ、僕は生半可で「教卓のこちら側」にいる自分に疑問を感じた。「教わるもの」が実績だけに生活を賭けるプロスポーツ選手となって、僕を「凌駕」したことに激しい刺激を受けた。それは何ら嫉妬の感情ではなく僕を駆り立てて、今の立場になるまでに押し上げて来た。もしそれが嫉妬をもとにした、「教育制度」を信じない上での僕の行動だったとしたら、たぶん僕は今の立場にまで到達しなかったに違いない。どの立場にあろうとも、それは今現在でも「教室とはそこに存在しないものが生成する奇跡的な場だ。」という信念をもって生きている自分を発見するということなのである。

少々、意味の分からぬことを綴った。(僕なりの解釈覚書であるゆえ)
どうぞ、内田樹氏の著書を併せてご一読いただきたい。
僕自身が、大学受験を経験した際に痛切に感じていた「教卓」の境界線。
その後、教師であり続けて来た自分を振り返り、また入試の時季が来た。
「教育の奇跡」を堅守するために、また今日という1日があるのだ。
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